光明メッセージ
Japanese Dream Realization




「純粋経験を通して絶対無なる真理を思索せよ」




 諸君よ、純粋経験の本義は、精神統一にあり、無我なる境地にあるのである。主と客が分かれる以前の統一した姿こそが、諸君にとってのありのままの意識現象なのである。この無我なる境地を推し進めていった所に、実在の世界が顕れてくるのである。

 この実在とは、現象でもある。現象そのものが如実に自覚されてゆくようになるのである。これは自我ではなく、本来の自己である。根底実在と一つになった自己であり、根底実在の一部である自己である。そして、除々に、根底実在の方から、全てを観ずるようになってくるのである。根底理念の方から、全てを観ずるようになってくるのである。

 さすれば、全て眼前に現れている現象、全て心前に現れている現象が、そのままで実在的生命そのもの、理念的生命そのものに感じられてくるのである。このような実在的生命を自覚してゆくことが、哲学的悟りを探究してゆくことである。根底実在が自己であると自覚され、根底実在そのものについて思索してゆくことこそ、絶対無へと到る過程である。

 このような絶対無への思索が常にあった時に、全てのもののもつ意味が変わってくるのである。狗子仏性一つでも、それは自己を問うていることと同じとなり、それを問う人を問うていることと同じであり、仏を問うていることと同じになってゆくのである。仏に逢うては仏を殺し、祖師に逢うては祖師を殺しというが、仏も無い、祖師も無いとした奥に、真実の仏、真実の祖師がよみがえってくるのである。

 仏そのものの生命を自覚すること、神そのものの生命を自覚することこそ、大悟であり、自由自在なる無限への道が広がっているのである。




《光明祈念歌》
機をつかみ
 飛翔してゆけ
 迷海の
   くびきを放ち
自由大空
       (貴)



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