JDR公開理念情報

 光明メッセージ
Japanese Dream Realization




「神の御心に立脚して正見してゆけば正しく観じられる」



 諸君よ、正見というものは、真理の観点から物事を正しく観じてゆくということである。正しくということは、神の御心を御心として観じてゆくということである。故に常に、神が常に物事をどのようにして観られているかということを探究してゆかなくてはならないのである。そして、神が観られているように、自らの視野を、高く、広く、深くしてゆかなくてはならないといえるのである。

 まずは、すべての中に神性を発見してゆく観方をしてゆくことが大切である。そして、すべての与えられることを、天の配材であると観じて、感謝をもって相対しなければならない。そして、天の配材であるから、不平不満や愚痴をこぼすことなく、自己の業の顕れとして、心虚しく受けとめてゆかなくてはならない。自己の業が天の配材となって、自分自身に魂修行の機会を与えて下さっているのであるということを観じてゆかなくてはならない。

 それ故に、すべての天の配材を心虚しく受けとめた上で、無限の自己変革をなしてゆかなくてはならないのである。そして、自分自身が変わってゆけばゆく程に、天の配材も無限無数に変わってゆくのであり、すべてのすべては、天の配材であると同時に、自らの心の顕れであるといえるのである。そのようにすべてを観てゆけば、すべてのすべての内に、神性を発見しつづけてゆくことが出来るのである。

 真に神性が発見出来るということは、自らの内に神性が発見出来ることと同じであるので、まず、自らの心の内に永遠普遍の神性があることを信じ、顕現してゆくように反省してゆかなければならない。そして、自らの神性の顕現度合いに応じて、外なる神性も、より高く、より広く、より深く観えてゆくのである。その意味において、正見とは、結局のところ、自らの神性の発見であり、自らの神性によって神の御心を発見してゆくことであるといえるのである。

 真に神の御心に立脚して、すべてのものを正見してゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



《光明祈念歌》
麗らかに
春の
日差しの
さす如く
天の配材
 愛に
抱かる
   (貴)





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