JDR公開理念情報 

 光明メッセージ
Japanese Dream Realization






「聖なるものに対して畏み弔うことが国家繁栄の基本である」





  諸君よ、「光ある時に光の内を歩め」という言葉は、聖書の中に使われているロゴスである。そして、トルストイも使われている。かの聖地に一度は巡礼されたら、「聖」なるものの意味がよく分かられるであろう。かの聖地のイエス・キリストや預言者達の足跡を巡られたら、本当の歴史観というものが身に付かれるであろう。

 畏れというものは、恐れとは異なる。畏れというものは、大切なものを大切なものとして敬うということである。重要なものを重要なものとして敬うということである。そして、それは、決して民主主義や自由主義と矛盾する理念ではないのである。むしろ、民主主義や自由主義の社会がより健全に発展繁栄してゆくために、聖なるものに対する畏れの心をもたなければならないのである。真実の歴史を如実に学んでゆけば、どこの国家、どこの民族にも、聖なるものを聖なるものとして尊重する文化の体系があるのである。

 かのイエス・キリストは、確かに「光」であられたのである。同時代の方は、その大きさに充分に気がつかれなかったのである。それは、偉人、天才によくあることである。三十三才の無名な若年のイエス・キリストの尊さが認識できず、神の言葉、天の言葉に素直になれなかったがために、その後ユダヤ民族がどれ程苦しまれたことか。ユダヤ民族受難の歴史は、未だに充分に解決されていないではないか。

 日本も戦後五十年以上たって、未だ充分にカミの問題が解決できていないではないか。聖なるものの価値と、聖なるものの扱い方、接し方が、未だに充分に悟れていないではないか。様々な面において、かの聖書の「十三日」のようなことだけは、後世の数々の後輩達のために、未然になくしてゆこうではないか。多数の方の意見が必ずしも真理に合致しないこともあることは、イエス・キリストや、ソクラテスや、マホメットや、様々な預言者の歴史が証明しているではないか。

 天来のものを天来のものとして敬い畏む心こそ、根本から国家が、全世界が繁栄してゆく基である。そして、聖なる動機をもって、純粋に闘い散っていった数多くの若き先人達に献華の心をもつことも、根本から国家が繁栄してゆく基である。関西大震災をはじめとする天災で亡くなられた方々の魂に献華の心をもつことも、根本から国家が、そして全世界が繁栄してゆく基である。

 大いなる未来のために、大いなる希望のためにこそ、我々は聖なるものを聖なるものとして敬い、畏み、そして数多くの死者の魂に対して積極的に弔い、自らの罪と誤ちを悔い改め、真に新生日本を、新生世界を創造してゆこうではないか。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。





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