福澤諭吉の『文明論の概略』で述べられている「文明」とは、「衣食住を豊かにすると共に、心を高尚にするもの」と位置付けられている。
西欧列強が文明国であった時代は、西洋のキリスト教的文化や哲学が重視されていたが、日本国や中国が文明国として発展していったならば、仏教や神道や儒教の哲学思想も重視されて、大隈重信が云う所の「東西文明の調和」の時代となるのである。
特に、この日本においては、福澤諭吉を始め、西田幾多郎や鈴木大拙などの説く日本的霊性、日本的無の形而上学と歴史哲学によって、日本文明が東西文明の中で重要な位置を占め、東西文明文化のかけ橋となってゆくのである。
また、実在界の思想であっても、源信の「往生要集」や、ダンテの「神曲」や、スウェーデンボルグの「天界と地獄」などがその情景を伝えているが、特に、源信の「往生要集」は、地獄の様子は少しだけで、極楽浄土の如来菩薩達の光明世界が、各種の仏典を素材として描かれているのである。それは、基本的に浄土教典の世界観である。
慶應宗教学会においても、極楽浄土に往生するための哲学的宗教的探究が様々になされているが、それは、宗教的世界観において、実在界の様相を知ることは大切であるからである。カントの不可知論に基づく哲学的な道徳的形而上学だけでは満足出来ない所があるのである。
このように、福澤諭吉の宗教多元主義の形而上学の中には、実在界についての探究も包容しているのである。従って、真なる「文明論の概略」の本質とは、宗教的な神の国仏の国の歴史的実現による人類の霊的進歩向上を説く哲学思想であるとも言えるのである。