諸君よ、「活学」ということは、「実学」という趣旨と同じ所があるのである。真理を発見し、応用実践して、現実世界に活かし、成果を得てゆくということである。学問の成果を一つ一つ確かめてゆくということである。
かの福澤諭吉の思想であっても、一つ一つ学んで、その真理を実生活に応用してゆき、その成果を得るということである。
福澤諭吉が説く所の人生上の真理を参考にして、自らの思索を深めてゆくということである。近代日本精神の源であるとも言える福澤諭吉の精神・哲学・思想を、自らの生活、家門の繁栄に応用してゆくということである。
またさらに、釈迦の説く所の「利自即利他」こそ、中道である。「利自」が、そのまま「利他」につながってゆく大道を常に念願し、その道を発見し、真理を探究し、学び、実践応用してゆくことである。
中道とは、大調和の道である。この中道の道を探究し、実践してゆくためにこそ、四諦八正道を究め、実践してゆくことである。
「正しさ」とは真理である。人間は大宇宙の真理に則っている時に最も強くなるとは、かの松下幸之助の言葉である。
松下幸之助は、弟子の木野親之に、「君、欠点は宝やで。資産になる。」と述べたらしいが、このような「償いの法則」というものは、かのエマソンが述べたように、人生において様々に働いているものである。
欠点が宝になる生き方もあるのである。真なる成功哲学、繁栄哲学というものは、欠点にも道をつけ、無限の富へと変えてゆくのである。
このように、福澤諭吉も、釈迦も、松下幸之助も、真理を発見し、表現し、実生活、実人生に活かしたのである。