諸君よ、人間学誌「致知」のような雑誌も大切である。「致知」において、安岡正篤や森信三や中村天風などの東洋哲学や、また、儒教や老荘思想等に触れて、これを活学して、徳を積んでゆくことが大切である。
このような「致知」における東洋哲学と、西洋哲学の両方が、バランスを取って融合されているような哲人であることは、特に、新時代においては大切である。
かの福澤諭吉の思想の中にも、西洋哲学・西洋思想のみではなくて、東洋哲学や日本哲学もその根底に基本として流れているのである。また、大隈重信であっても、「東西文明の調和」という名著があるであろう。
さらに、それらに加えて、幅広く様々な小説を読んでゆくことも楽しみであり、人生の想像力を広げ、幅を創ってゆくことであろう。
古今東西の人類の古典のみならず、幅広く小説を読む楽しみもあり、これもまた、文筆活動に活きてゆくであろう。
読書の楽しみと悦びは無限である。綴られて、創造された書物の数だけ、人生があり、世界があるのである。
確かに、教養小説も大切であるが、娯楽小説であっても大切である。また、様々な作家によるエッセイも大切である。
一人の作家が一冊の書を仕上げるのに、そこに、人生の一年以上の時間をかけて、自身の教養と才能をかけているのである。
文学の世界というものも深いし、広いのである。まさに文章世界は無限でもある。一行一行の文章の中に、様々な光もあれば、豊かさもあるのである。
一つのストーリーの中に、無限の人生のストーリーの学びと経験があるのである。