諸君よ、心を磨くことは、王道である。真理を学び、精進して、心を修めてゆくことこそが、真なる学問の本道なのである。
かのマルクス・アウレリウスの「自省録」のように、哲学を修めて、日々つづる日記省察の中に魂を磨いてゆくこと、そして、人々に感化を与えつづけることは、大道である。
「心の哲学」をもっと探究してしてゆかなくてはならない。かのモンテーニュやエマソンなど、「心の哲学」をこそ学び、探究してゆかなくてはならない。
福澤諭吉の「福翁百話」の基本も、「心の哲学」であるといっても過言ではない。日々の心の省察があってこそ、幅広い教養も活きてゆくのである。故に、幅広い教養を活かしてゆくための「心学」が必要なのである。
磨けば磨くほど光る心の玉であるから、心を常に磨きつづける真理、永遠普遍の真理が必要なのである。心を磨きつづけて光り輝いてくると、自然に洞察力も深く広く高くなってゆくのである。
己が心を磨きつづけてゆけば、心は偉人の高尚なるものとなってゆくのである。心を磨きつづけて偉人となってゆくこと、古今東西の偉人に学びつづけてゆくことこそ、本当の学問である。
偉人の偉人たる所以は、「心の哲学」を万人に示している所にあるのである。かの小林秀雄にしても、斎藤茂吉にしても、与謝野晶子にしても、三島由紀夫にしても、偉人と称される方々は、第一級の人格を持っているものである。
その心境は、才徳と共に、すべての人々が学びとってゆく目標である。数多くの偉人賢人を目標として、自らも偉人賢人となってゆくことである。