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 「義塾メッセージ」
Japanese Dream Realization



「国際的日本文化を通して日本語を 本来のギリシャ語 ラテン語にしてゆこう」


 塾生諸君に述べておきたい。英語等が日本人にとってのグローバルスタンダードであるならば、日本独特の文化言語は、アメリカ等の方々にとっては、ローマ人の「ギリシャ語」にあたるものであるといえるのである。

 日本語の中には古文もあり、漢文もあり、カタカナもあり、日本的英語や日本的仏語もあり、様々な言語体系が存在し、実在し、特に、和歌(短歌)の世界においては、独特の造語が日々誕生しているのであるが、その習慣は、非常に面白いものであるといえるのである。

 ある方は、実は来世結婚するならば、ハーバード大学の日本語学科の女性の方がよいといわれ、その妻は、同じ日本文化専攻の男性の方がよいと言われていたが、このような発想は、非常に面白いといえるのである。

 国連職員をつとめるならば、英語の他に、仏語もやっておくべきであると言われ、哲学をするならば、独語もやっておくべきであるといわれるが、とりあえずは、「英語」と「日本語」「古文」「漢文」ぐらいはマスターし、その他に、興味のある「言語」を、一つぐらいはマスターしてゆけばよいといえるであろう。文化があるからこそ、言語学が面白いといえるのであり、言語があるからこそ、文化が面白いといえるのである。

 かのショーペンハウアーの言われるように、「文体」というのは、「哲学者」等にとって非常に誇りのあるものであり、翻訳者は、よくよく注意しなければならず、その内容を悟得しなければならず、詩歌にいたっては、さらに半分ぐらいは翻訳の責任となってしまうのであるが、それ故に、非常に語学感覚というもの、そして、その背後にある思想性というもの、理念性というものを大切にしてゆこうではないか。

 真に、日本語を国際的日本文化を通して、新時代の「ギリシャ語」的なもの、新時代の「ラテン語」的なものにしてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。





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