塾生諸君に述べておきたい。人間は、「経済的人格」であると同時に、「文化的人格」であり、さらには、「政治的人格」であるといえるのである。故に、国際情勢を観じておきながら、自らの「志」とする意見を発表していった方がよいといえるのである。たとえ、それが未熟なものであろうとも、その「志」だけは、「天」は一〇〇%評価されるのである。
それは、「国家」のことを憂い、地球という「星」のことを憂うことなのである。「憂う」ということは、「愛する」ということであり、「愛する」が故に発言し、「言論」をなしてゆかなくてはならないといえるのである。
例えば、米英日の対イラクに対する基本姿勢であっても、常識的に考えれば、日米同盟を結んでいるのであるから、米国に賛成しても当たり前であり、「生き筋」であるといえるが、あくまでも「平和」的解決を求め、地球という星に「テロリズム」をなくしてゆくことは、大切なことであるといえるのである。「平和」のために、積極的解決をしてゆくことであり、「大調和」のために、積極的な解決をなしてゆくこともあるのである。
また、対北朝鮮問題であっても、米国同様に、基本的に厳しい対応をせざるを得ないといえるし、それが常識であるといえるのである。しかしながら、ここでも、真なる「平和」のためにこそ、「大調和」を実現してゆくためにこそ、何が大切かということが徹底的に「議論」され、その過程で、一人一人の「志士」が、「哲人」が、「芸術家」が生長してゆかれればよいといえるのである。
真に「天」を敬い、「志」を敬い、若い「人財」を敬い、常識を常識とふまえながら、手堅い対応をなしつづけてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。