JDR会員制理念情報

 「義塾メッセージ」
Japanese Dream Realization





「『罪と罰』の探究と同時に『教育と救済』の探究をなしつづけてゆけば『法』に道がついてゆく」



 塾生諸君に述べておきたい。極端に人間不信に陥ってはならない。しかし、同時に、人間の悪に目を閉じてもならないのである。

 人間の悪をどこまでも探究出来るということは、逆にいえば、それだけ人間の本質を信じているということでもあるのである。真善美聖の人間の本質的実相が信じられるからこそ、真と偽を探究し、善と悪を探究し、美と醜を探究し、聖と俗を探究しつづけてゆくことが出来るといえるのである。

 その意味において、人間の「罪と罰」について、「教育と救済」という観点から、根本的に探究してゆかなければならないといえるのである。「教育と救済」という観点から観れば、医学が「病と治療」の探究を、「仁」術の道として考えてゆくのと同じように、「罪と罰」の探究を、「仁」術の道として考えてゆくことも出来るのである。

 もしも、「仁」術の道という観点がなかったならば、法律というものもまた、その運用というものも、単なる技術的な問題となってしまい、その中に「道」をつけてゆくことが出来なくなってしまうのである。

 基本的に、教育の本質は救済にあり、真に「魂」の本質をエデュケイションしてゆくことに実在しているといえるのである。確かに、「罪と罰」の現場は、人間の醜さが露呈する場所であるといえるけれども、同時に、これ以上の「教育と救済」の現場もないともいえるのである。

 万人は、本来、真なる幸福追求権を有しており、真なる文化的に最低限度の生活を営む権利を有しており、その実質において、「救われる権利」を有しているといえるのである。

 真に根源的な所から救い、救われる社会が実現してゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



〔義塾光明祈念歌〕
 韮の花
 真理の光
見極めつ
  光りて光らず
  たましいの里
(貴)




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