塾生諸君に述べておきたい。有事の哲学というものは、平時の哲学と表裏一体のものであって、真に平時の哲学を考えてゆくためには、真に有事の哲学を考えてゆかなくてはならず、真に平時の哲学を考えてゆくためには、真に有事の哲学を考えてゆかねばならないのである。
現代日本の置かれている現状も、一国平和主義によって保たれているのではなく、日米同盟における軍事的バランスの内に保たれているように、真に国際的センスをもって日本国の現状を眺めてみた場合、平和主義を原則としながらも、有事法制等を探究しておくことは、当然の義務であるといえるのである。
人間には確かに闘争本能があり、ある意味で戦いの本性があるともいえるが、このような本性を健全に伸ばしてゆくことは、それを完全に抑圧してしまうよりも大切であるといえるのである。それ故に、公平なルールの下に、スポーツをなしたり、自由競争の経済原理を全うしたり、国際テロや国際紛争における不正な侵略行為に対して防衛をなしたり、国内的には諸犯罪に対して正義を全うする方向に善用してゆけばよいといえるのである。
人間の本性は、本来平和的に文化的に出来ており、それを原則としているが、それだけではなく、正義感があり、理性的良心的に戦う本性も有しているということも見落としてはならないであろう。
真に平和を全うするために、有事に対して備えをしておけば、かえって平和が強固に全うされ、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。