塾生諸君に述べておきたい。真なる哲学思想の価値というものは、不変不動である。何故なら、真なる哲学思想によってこそ現実が創造され、生み落とされてゆくということが、歴史的真実だからである。その意味において、一握りの真実の哲学や思想を真に読み解く実力を、常に磨いておかなくてはならないのである。
どのような崇高なる哲学思想があったとしても、それを真に読み解く実力のある方々がいなければ、真に哲学や思想が、「真象」をもって実現してゆくことが難しいからである。どのように優れた哲学思想があっても、その解釈を誤れば、そこに「偽象」が生じ、悲劇が生じてゆく余地があるといえるし、どのような哲学思想であっても、その真髄を礼拝してゆけば、より一層の「真象」が生じ、一大光明芸術を創造してゆくことが可能だからである。
その意味において、哲人王のあり方として、自ら具体的事業の実務を執ることなく、自らは経営理念を呈示して、具体的事業を政治家や志士の方々に委ねてゆく過程においても最も重視されなくてはならないのが、政治家や志士達が、いかに経営理念を正しく悟ることが出来るかということなのである。その意味において、真なる政治家や志士達もまた、哲学的教養と哲学的センスを磨いておかなければならないといえるのであり、その意味で、真なる哲学の真奥を極められる方は、一握りであるといえるのである。
真に特定の思想や哲学が正しく解釈され、具体的事業として成功しつづけてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。