JDR公開理念情報

 「義塾メッセージ」
Japanese Dream Realization





「感性世界を超越して理性的世界を開拓してゆけ」



 塾生諸君に述べておきたい。哲学の本質とは、人間が通常生きている感性世界を超越してゆくことにあるといえるのである。人間は、感性世界を生きている限りにおいて、動物的生を生きているといえるが、感性世界を超越して、理念(イデア)的世界を生くるに従って、より神々の生を生きているといえるのである。

 そして、地上世界にあるあらゆるものは無常であり、無我であり、変転してゆくものなので、本当に「ある」とはいえず、むしろ、本質的には「ない」といえるものなのである。そして、無常無我なる感性世界を超越した所に、理性的世界、理念的世界があり、哲学者は、内に内在している理性の光によって、同じく理性的なる理念的世界を射照し、認識している点において、地上的な生を超越し、はるかなる神々の天空に魂を飛翔させている存在であるといえるのである。

 このように、理性的世界、理念的世界とは、本来、生き生きとした実在であり、無常無我なる形式を超越した真に「ある」実在であるといえるのである。その意味において、神々の生は、常に理性の光明によって、理念的実在を観照し、理念的実在と一体となっているが故に、より永遠普遍の生を全うしているといえるのである。

 人間は、その意味において、通常は感性的世界に存在しているので、一種の感性の鉄鎖の下にあるといえるのであるが、この感性の鉄鎖から真に自由になるためには、自らの理性を磨き、地上に生きながらにして、理性的実在としての「善く生きる」人生を全うしてゆけばよいといえるのである。

 理性的実在とは、本来、真そのものであり、善そのものであり、美そのものであり、聖そのものであるから、こうした理法に則って生きてゆくことこそが、真なる自由を獲得して、「善く生きる」ことを全うしてゆくことであるといえるのである。真なる哲学のもとに、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



〔義塾光明祈念歌〕
若き蘆
自らを知り
内省し
哲学をこそ
若き血となす
(貴)



[ 2002年4月14日 ]



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