塾生諸君に述べておきたい。足ることを知るということは、現在与えられているものの価値を真に悟るということである。もし、それが失われたことを想定してみれば、ありがたいことに人間の生というものは囲まれているものなのである。しかし、その価値を真に発見しなければ、その価値は顕れないだけなのである。
故に、どのような環境におかれようとも、まず、感謝から始めなければならないのである。そうすることによって、深い所から、安心立命の境地が生まれてくるのである。天から与えられた一日一日に、深い感謝の念いをもって受けとめ、日々を悦びに満ち満ちて送ってゆくことが出来るのである。
そして、足らない所に対して不平不満や愚痴をいっていれば、マイナスなことに、尊いエネルギーを費やしてしまい、価値を発見するどころか、価値を見失ってしまうことになりがちであるが、足ることを知り、現在、与えられていることの善い部分を深く観じてゆけば、そこに、無限の可能性が宿されており、未だ未開拓の可能性の芽が、無限無数に実在していることが悟られてくるでのである。
この可能性の芽を発見しつづけてゆく所から、真なる充実した発展繁栄が生まれてゆくといえるのであり、現在与えられているものを最高度に活かすことによって、天に対して報恩をなし、さらに、自然に活かした所から、さらなる発展繁栄の芽が発見されてゆくといえるのである。
故に、足ることを知るということは、消極的な精神態度ではなくて、限りなく積極的な精神態度であるといえるのであり、現在与えられているものに対する深い愛がそこに顕れた時に、一日一日の内に、神の国、仏の国、理念(イデア)の国が顕れるといえるのである。積極思考として、足ることを知ってゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。