塾生諸君に述べておきたい。人間存在を考えてゆく上で、時間という形式の上に生命が存在しているということは当然のことではあるが、深い意味が実在しているのである。
生命そのものが、時間を内包しているということは、ありとしあらゆるものが無常であるということである。それ故に、この無常性を探究してゆけばゆく程に、人生観や世界観が不安定なものになってゆかざるをえないのである。
しかし、この諸行無常ということを考えなくては、根源的に生命の営みを問うことは出来ないのである。自分自身が永遠普遍であると思って、価値の源としていた生きがいの多くが、実は無常なるものであって、いつか失われてゆくことを悟った時に、人間はどうしても人生において深い意味における虚無観につつまれるのである。
しかし、人間という生命は、同時に無常なるものを無常なるものとして自覚しながら、それを乗り超えた永遠普遍なるものを創造してゆくことが出来る本性を有しているのであり、理念的自由意志を有しているのである。それ故に、真に永遠普遍なるものを見極めてゆく眼を培ってゆけば、無常なるものを超越した人生を永遠普遍なるもので彩ってゆくことが出来るのである。
この永遠普遍なるものを無常なる形式のもとで創造してゆくからこそ、より一層に泥沼に咲く華の如く永遠普遍なるものが輝いて観えるといえるのであり、無常という時間の形式があるからこそ、そこに、一大光明芸術としての物語が生まれ、より一層の芸術的価値を育んでゆくといえるのである。
故に、無常という生命の形式を積極的に観じて、それ故にこそ、永遠普遍なるものを探究し、創造しつづけてゆけば、そこに一大光明芸術が顕われ、すべては善くなってゆくしかないのである。