塾生諸君に述べておきたい。感性を磨いてゆくということは、人生を豊かにしてゆく上で、とても大切なことである。感性も、磨けば磨く程に、より素晴らしい天性の花を開花させてゆくことが出来るのである。そして、人生の様々な出会いの内において生ずる感動を、真に高め、広げ、深めてゆくことが出来るのである。
例えば、恋愛感情にしても、感性が磨かれていなければ、ただ単なる一時的な感情を生ずるにすぎないけれども、真に磨かれた感性のもとにおいては、優れた感動となり、感情表現となってあらわれるのである。
その際に、本物の感情を詩歌にのせて創造しておけば、本物の感情に裏うちされた詩歌が、永遠なる魂の刻印となって遺ってゆくのである。そして、具体的な恋愛の対象となった方と別れてしまっても、その恋愛感情自体が無くなってしまっても、ありとしあらゆる無常な摂理の中において、本物の感情ともいえる詩歌だけが遺ってゆくといえるのである。
その意味において、本物の詩歌こそが、本物の恋愛感情よりも、より一層の真実在といえるのであり、理念(イデア)恋愛としての「プラトニック
ラブ レボリューション」を考えるにあたっても、本物の恋愛感情を、真実在の文化としての詩歌に遺しておくことは、必要不可欠なことであるといえるのである。
詩歌こそ、より感情を表現するのにふさわしい形式であり、本物の感情を表現し、創造し、遺しておけば、多くの方々とその感動を共有することも出来るようになり、必ずや、人生の至宝となるのである。永遠に生きたと思えるような感動があるならば、それこそ、真なる人生の花である。そして、それを詩歌に遺しておけば、永遠の生命の花となってゆくのである。
永遠なる生命の花を咲かせてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。