JDR公開理念情報

 「義塾メッセージ」
Japanese Dream Realization





「義塾百話」〜平成の慶應〜



「まえがき」



  かつて、明治維新(明治革命)前夜に、在野の思想家として、福澤諭吉がおられたということは、世界史的日本史を考察してゆく上で、必要不可欠な「中心軸」であるといえる。

  「慶應」という一つの時代は、「時代精神」を育むために最重要の揺籃期であって、一八五八年に二十五歳で始められた私塾が、一八六八年に、明治改元と共に「慶應義塾」と正式に称される、三十五歳に到るまでの時代は、まさしく、福澤諭吉の青春期であるばかりでなく、日本の青春期そのものであったといえよう。

  ほぼ同世代の坂本龍馬の風雲児の如き活躍も、この時代におこった世界史的日本史であることを考え合わせてみても、二十代、三十代の時代に、光を掲げた若き志士達の活躍の中に、永遠の「若き血」そのものの光明と、熱情と、叡智の結晶が看取され、若者にとって、また、国家にとって、そして、世界にとって、「大いなる志」を掲げ、「大いなる夢」を掲げ、それを心虚しく実現しつづけてゆくということが、いかに大切なことかということが、如実に認識されるといえるのである。

  ある面において、「天の配材」とも観える逸材達が、天上世界よりの「一大光明芸術」の華の種子の如く、地上世界に生まれ落ち、歴史によって育まれ、己が唯一無二なる「理念(イデア)の華」を開花させてゆく様は、個人の歴史としても、義塾の歴史としても、日本国の歴史としても、地球という星の歴史としても、開眼に値するものである。

  永遠の若者としての志士達が、「第二の誕生」を迎え、真なる「天命」に目覚めてゆくためにこそ、本来の「学問」が実在し、本来の「哲学」が実在し、本来の「教育」が実在していることを、歴史的真実そのものが、私達に訴えているように感じられるのは、「平成」という一つの時代が、「平成の慶應」として、新しい「時代精神」に基づいた、新しい「学問」と、新しい「哲学」と、新しい「教育」と、新しい「志士」達を要請しており、新しい「国家百年の大計」と、新しい「国家千年の大計」を要請しているからであろう。

  「義塾百話」としてつづられた哲学的メッセージは、主として、私塾でありながら、大学法人でもあり、神学部をもつ宗教法人でもある「JDR義塾」において、二十一世紀の日本、並びに、地球という星の、春から秋にかけて、インターネット上で公開されたものである。

  若き日の福澤諭吉を模範にして、在野の思想家として、私塾を開き、塾生を養成し、「天の配材」のもとに、連続講義を成しえたことを感謝すると共に、今後とも、さらなる精進を重ね、さらなる塾生(門下生)を養成させていただきたいと、切に天に祈る次第である。







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