塾生諸君に述べておきたい。「愛」というものは、本来、「悦び一元」そのものである。何故なら、「愛」の中に「生命」を活かす大道が実在し、「愛」の中に「理念(イデア)価値」を実現する黄金の「鍵」が実在しているからである。
しかし、「愛」を限りなく「純化」してゆかなければ、「愛」の中にある「不純」な「マイナス想念」が、本来「プラス一元」である「愛」に曇りをつくり、それが、「苦しみ」や「悩み」や「悲しみ」等の原因となってゆくのである。
故に、常に、「プラス一元」の「理念(イデア)的愛」の観点から、「愛」故の「マイナス想念」を一つ一つ「内省」してゆくことによって、「愛」を高め、広げ、深め、より「天使の愛」「菩薩の愛」「神々の愛」に近いものとなしてゆきつづければ、「愛」を、運命を開拓する「鍵」として、天の栄光が、人を通して、地上に無限無数に顕現し、実成し、そこに、「悦び一元」の信条に基づいた「神の国」「仏の国」「理念(イデア)の国」が建設され、実現され、実成してゆくといえるのである。
その意味において、常に、「一日一生」の信念をもって、一日一日を、「日々是好日」として、「神の国」「仏の国」「理念(イデア)の国」に成してゆく「自助努力」を積み重ねてゆかなければならないといえるのである。
そして、限りなくストイックな「不動心」に裏うちされた「剛さ」こそが、真に「大いなる夢」を実現してゆく原動力となり、「愛」によってこそ、様々な「マイナス想念」をなくし、「プラス一元の想念」を、「集合想念」として結集し、「真実在」の世界を築いてゆくことが出来るのである。
心を「プラス一元の想念」に合致させてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。