塾生諸君に述べておきたい。物事の「先入観」を一つ一つ取り除き、叡智的光明を掲げてゆくことこそ、真なる哲学者の使命であり、真なる哲人的リーダーの使命であるといえるのである。例えば、中江兆民や、福澤諭吉や、吉田松陰がおられなければ、近代日本哲学は誕生しなかったであろうし、近代政治思想や、近代法学思想や、近代経済思想や、近代教育思想や、近代文化思想は誕生しなかったであろうし、こうした思想家の方々こそが、近代日本ルネサンスの父であり、国際的日本文化外交の父であることは、自明の真理、真実である。
そして、中江兆民や、福澤諭吉や、吉田松陰の根本思想の源には、J・J・ルソーや、エマソンや、ヘーゲル等の思想があり、近代哲学の根本精神の大山脈の「時代精神」は、実は、日本国の伝統の神々が、「神の見えざる手」として「天啓」を降されていたということが、真なる世界史の実相であり、国際的日本史の実相なのである。
故に、ルソーの根本哲学の中にも、エマソンの根本哲学の中にも、ヘーゲルの根本哲学の中にも、実は、日本精神の霊脈が、深く高く広く、「光」そのものとして息づいているといえるのである。そのような観点に立脚しなければ、全き「真理」そのものとしての「歴史哲学」を観ずることは出来ないのであり、何が「正統」であり、何が「異端」であり、何が「正論」であり、何が「邪論」であり、何が「興国の真理」であり、何が「亡国の邪説」であるかということを真に見抜き、明々白々に糺してゆくことは出来ないのである。
少なくとも、明治維新の先哲の方々の中には、限りなく「正統」な「時代精神」の顕現があり、「世界精神」の顕現があり、「宇宙精神」の顕現があり、百年後経た二十一世紀の日本国に「ルネサンス」され、二十一世紀の千年の大計となり、それ以上の、地球という星の大計となり、地球新秩序と共に、銀河新秩序を、そして、宇宙新秩序を形成し、創造しているといえるのである。
真に、「一般意志」としての「神々の意志」を心虚しく忖度し、真に正しく、柔軟に、健全に、悟得し、天地人を貫く天の栄光として、地上に実現成就してゆけば、まさしく、天上世界の理念(イデア)が、地上世界の理念(イデア)として顕現し、「理性的実存」としての人間の最高の尊厳の証としての、理性と良心と真心と個性と天才を結集させた成果としての、神の国、仏の国、理念(イデア)の国が、地球史最高の偉業として実現成就してゆくのである。
あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。