塾生諸君に述べておきたい。「その方が一体何者であるのか」ということは、「その方が、常日頃考えておられることは一体何であるのか」ということによって証されてゆくのである。故に、常に、表面に顕れていない「心や精神や志」にこそ、よくよく着眼し、自分自身の本質を問うてゆかなければならないのである。
必ずしも、外面的なものだけで、真実の理念(イデア)価値を公正に評価できているとは限らないのである。故に、よくよく目に見えない部分を観ずる習慣をつけ、特に、その方の「思い」そのものを積極的に評価し、価値礼拝してゆかなければならないといえるのである。
そして、日々、自らの「思い」を点検し、「思い」の内実を深め高め広めてゆくことこそ、真なるフィロソファーの天命であり、真なる成功、真なる勝利、真なる繁栄の源であるといえるのである。「天の御心」は、「天網恢恢、疏にして失わず」に、その方の「思い」を観じられ、「思い」の調べそのものを公正に評価され、その方の「思い」にふさわしいものを招き寄せられてゆくものなのである。
人間は、本来、「理性的実存」として、天来の「理性」と「良心」と「真心」と「天才」と「個性」を有しており、自らの唯一無二なる「個性的理念」「個性的イデア」「個性的天才」を、「思い」そのものを磨くことによって真に開花し、大いなる「理念(イデア)の結晶」となしてゆく自由が与えられているのである。
故に、積極的精神態度をもって、自らの「思い」そのものを磨いてゆくことを通して、「大いなる夢」を、実人生、実社会、実生活の中に日々実現しつづけてゆけば、その過程そのものが天の栄光を招き、黄金の大道となり、繁栄と健康を通した平和と幸福と文化創造の福徳を顕現実成してゆくのである。
あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。