塾生諸君に述べておきたい。「愛」というものを深く考えたことのない人生は、本来、人間として、天から与えられている「恵み」を充分に発見し、発掘しえない不完全燃焼感を残すものである。そして、真なる「愛」というものを、他の動物とは違った形で探究し、体現し、表現し、感動できる「実存」であることが、実は人間の本質でもあるのである。
故に、「愛」というものにも質の違いがあり、個性の違いがあり、より崇高な精神的属性が加わって昇華されてゆけばゆく程に、そこに、人格の本来の「理念」、本来の真善美聖が育まれてゆくといえるのである。「愛」の中に、真を観じ、善を観じ、美を観じ、聖を観じてゆくということには、本来、無限の可能性があるものであって、「精神的実力」そのものであり、「魂的実力」そのものであり、「心的実力」そのものであるといえるのである。
そして、「理念論」(「イデア論」)と「現象論」(「現実論」)が対立しているのではなくて、実は、実人生としての諸現象の「愛」の内奥の中核に実在しているものが、「理念」(イデア)であり、人間とは、本来、天与の「理念」(イデア)的実存なのである。ただ単に、動物としての「形式」を通して三次元世界で活動しているが故に、ともすれば、天上の「理念」(イデア)的実存であることを、時折、忘却しているだけであって、万人が、本来、天与の「理念」(イデア)的本性を有しているものなのである。
それ故に、動物としての「形式」を尊重しながらも、それを超越した所に人生の本義が実在し、真なる「魂」や「心」や「精神」を認識し、「自覚」し、さらに、その中に「理念」としての真善美聖をどこまでも探究し、表現し、顕現しつづけてゆこうとすれば、人生そのものの「舞台」が、本来、天から与えられているが故に、人生そのものの中に、「一大光明芸術」を創造してゆくことが出来るものなのである。
それは、どのような分野であろうとも、本来、可能なことであり、ありとしあらゆるものに大道は「実在」し、「理念」は実在し、理念的愛、イデア的愛は実在し、真なる珠玉の如き「理念」(イデア)の美を輝き放っているといえるのである。真に「理念」(イデア)の美を発見し、創造し、顕現し、育て伸ばしてゆけば、真なる天の栄光が、人を通してこそ、無限無数に地上に実現され、全人類、全生命の遺産としてゆくことが出来るのである。
真なる「理念」(イデア)の美を探究してゆくことが、真なる哲学の原点であり、真なる「理念」(イデア)の美を体現してゆくことが、真なる哲人(フィロソファー)の原点であり、人間性の本質そのものを探究し、人生の本質そのものを探求してゆくことを通して、真なる国家観、真なる世界観、真なる宇宙観を育んでゆくことこそが、真なる志士的哲人であり、志士そのものであり、哲人王(哲人的リーダー)そのものであるといえるのである。
様々な分野において、真なる哲人王的リーダーが輩出してゆけば、そこに、真なる神の国、仏の国、理念(イデア)の国が創造され、建国され、内面性に深さと高さと広さのある、精神的ジャパニーズドリーム、精神的グローバルドリーム、精神的ユニバーサルドリームが実現成就し、無限無数の天の栄光が地上に顕現してゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。