塾生諸君に述べておきたい。基本的に、「究極的実在論」の「認識論」、すなわち、「天の御心」に対する信頼の内に「真理そのもの」を探究してゆくために、健全で、柔軟で、公正な「批判精神」をもってゆくことは、「圧倒的な善」である。何故なら、「批判的実在論」に基づいて、「真理そのもの」の全体像がよりよく認識でき、様々な角度から、「全き真理」として認識出来てゆくからである。
その意味において、「シンポジウム」(饗宴)ということは非常に意義のあることであり、プラトンの対話篇にしても、基本的に、「弁証法」的に、建設的に、より高く、より深く、より広い「真理そのもの」の全体像を把握してゆくために、一つ一つ階段を昇るようにして議論が進んでゆくものであるといえるのである。
すなわち、「真理そのもの」への「愛」(「エロス」)によって、本来の批判的対話が始まってゆくのであり、議論が始まってゆくのであり、このような議論を積極的に尊重してゆくことによって、真なる「議会制民主主義」「議会制自由主義」「議会制理念(イデア)主義」が、大調和裡に発展繁栄してゆくことが出来るといえるのである。
その意味において、ただ単なる「悪意」に基づいた「悪口や批判」は、ただ単なる「悪」でしかないものであり、一つの「煩悩」であるといえるが、「善意」に基づいた「建設的批判」、「真理」に基づいた「哲学的批判」、「良心」に基づいた「理性的批判」は、本来「光」を掲げてゆく行為そのものであり、「啓蒙」そのものであり、「自他一体」に活かす光明の大道そのものであるといえるのである。
真に「光明的批判精神」「光明的批評精神」「光明的哲学精神」を伸び伸びと活かし育んでゆきながら、真なる「大調和」の世界を創造しつづけてゆけば、あらゆる面において、理念(イデア)大国日本が、「理念(イデア)ルネサンス」の潮流として育まれ、全世界に「理念(イデア)ルネサンス」の一大ムーブメントをおこしながら、新生地球を創造してゆくことが出来るといえるのである。
真なる「自由」の精神をもって、それ故にこそ、真なる「理念」(イデア)を尊重し、地上に顕現してゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。