塾生諸君に述べておきたい。「自由 平等 博愛」の哲理と「大和」の哲理は、本来「一つ」である。真なる「自由」の「真理」は、真なる「平等」の「真理」と「一つ」であり、「自由」なくして真なる「博愛」なく、「平等」なくして真なる「博愛」なく、真なる「博愛」は、真なる「自由」と真なる「平等」を育んでゆくものなのである。そして、それぞれの「固有の理念」が「矛盾」なく「統合」されている状態こそ、真なる「大調和」の状態であり、最も「生命」が活き活きと活動出来る「環境」であり、本来の「大和」の伝統精神であるといえるのである。
その意味において、「全き真理」が「全き真理」であるが故に、本来矛盾なく、本来相克なく、本来対立なきものなのである。故に、常に「無知の知」の原点に立脚して、「全き真理」の立場から、「全き真理」の全貌を、「寛容に」「柔軟に」「崇高に」見渡してゆかなければならない。
狭い見識(臆見)に立脚して、狭い「自由主義」から狭い「平等主義」を排撃するのもドグサ(臆見)であり、狭い「平等主義」から狭い「自由主義」を排撃するのもドグサ(臆見)であり、共に、本来の「博愛」としての「エピステーメ」(「叡智」)に反することなのであり、真なる「エピステーメ」(「叡智」)こそ、真なる「理念」(イデア)であり、真なる「天の御心」であるから、結局のところ、「天意」に反することになってしまうのである。
故に、常に「全き真理」「全き理念」「全き叡智」に立脚して、知的廉直に基づいた「自己内省」の精神態度を確立し、真なる「大和」の真理とは何かということを根本から問い、探究してゆかなくてはならない。「大和」の真理とは、「円相」の真理であり、かの「真珠」の如き「叡智の結晶」そのものである。
心「虚しく」「叡智の結晶」を探究し、具体化、応用化し、実践しつづけてゆけば、「光明信念」の持続と絶ゆまぬ「イノベーション」の下に、あらゆる面において、「新時代」の太陽が昇り、真なる「統合と個性の開花」「秩序と自由」の「大和の世界」が、新天新地として形成され、創世され、育まれてゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。