塾生諸君に述べておきたい。「新時代」の「絶対精神」の顕現たる「哲学」「宗教」「芸術」のあり方を探究してゆく上で大切な観点は、「純粋宗教」の「理念」であるといえるのである。特定の宗教団体の内部にある方が信仰心をもって論ずるのではなく、健全で柔軟な「信仰心」と「ヒューマニズム」と「批判的実在論」の「認識論」をもった幾多の諸賢諸哲が、真なる「国益」と「地球益」を増進してゆくという観点から、「宗教」を「哲学」の対象と成し、その奥にある「純粋宗教」の精神を拝み出し、その上で、内奥の「本質的価値」を肯定しながら、その「功罪」について適正に判断してゆくことが肝腎であるといえるのである。
その場合、主たる代表的論点と成るものは、第一に、他宗教に寛容であり、狭い意味での「唯我独尊」に成っていないかという点であり、第二に、国家に貢献することを通して、地球全体に貢献してゆくという基本姿勢が在るかという点であり、第三に、国内、及び国際社会において、「法の精神」というものを大切にし、国内においては、犯罪やスパイ活動等の防止に、国際的には、国際犯罪や国際紛争等の防止に貢献しているのかという点であり、このような観点から、「究極的実在」としての「理念」(神)を肯定する立場から、「唯物論」ではない方向において、健全に柔軟に諸宗教のもたらす「果実」、並びに宗教的「真理」といわれているものの真なる「真理」性そのものを根源的に問い、ある時期には、「自由」な宗教活動(信教の自由)に伴う「責任」を問うてゆかなければならない。
そのことによって、一人一人の「基本的人権」と「国益」と「地球益」を守り、同時に、宗教そのものの中に真なる「生命」を復権し、真なる「文化」として「ルネサンス」し、実生活、実人生、実社会に活かしてゆかなくてはならない。
真なる「哲学精神」によって「科学」されてはじめて、「宗教」の真価が判明し、「新時代」にふさわしいものとして「イノベーション」され、「純粋宗教」の「理念」そのもの、「神」そのもの、「仏」そのものが、「一」なる「実在」として、「多」様なる「実在」として活き活きと幸え、真に日本国の運命を開拓し、真に地球という星の運命を開拓し、新生日本ルネサンス、新生地球ルネサンスの大道を開拓してゆくといえるのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。