塾生諸君に述べておきたい。過去の諸々の事柄について、光明面については大きく、暗黒面については小さく「観」じてゆく積極的な「自助努力」も大切である。このささやかな日々の心がけの積み重ねによって、「一日一生」の精神をもって「新生」しながら、「砂金」の如き過去の事柄を真に「錬金」し、「金剛石」の如き「人生観」と「世界観」を獲得してゆくことが出来るものなのである。
それ故に、常に「バランス感覚」を大切にして、暗黒面が強く表面化してゆく時期にこそ、光明面を拝み出してゆくことが肝要であるといえるのである。光明面を真に「個性的長所」として「観」じうるということは、「愛」の証である。徹底的に「愛」すれば、自然に「個性的長所」が「観」ぜられ、徹底的に「個性的長所」を「観」じてゆけば、徹底的に「愛」してゆくことが出来るものなのである。
その意味において、「厳しさ」を大切にしながらも、徹底した「実相観」(「理念観」)による「個性的長所」を拝み出しつづけてゆく姿勢があれば、自然に、一人一人の「個性的実相」が、「個性的神性」として、「個性的仏性」として、「個性的理性」として、「個性的良心」として、「個性的天性」として開花してゆくものなのである。
一人一人の「唯一無二」なる「個性」の奥に実在している「個性的実相」、「個性的理念」、「個性的イデア」を常に拝み出しつづけてゆく「光明信念」をもった徹底した「愛」があれば、必ずや、「圧倒的善念」が勝利し、成功し、繁栄してゆくのである。一人一人の「魂」に、それぞれの「時間」があり、「空間」があり、一人一人の「魂」が、人生の「旅人」として流転しながら、永遠普遍なる「理念」を、神として、仏として、絶対精神として探究しつづけている「生命」であるという「自覚」をもって、一人一人の「魂」のかけがえのない「永遠の今」を尊重しながら、その時点その時点における最善の努力を、あらゆる面において成してゆけば、全ての全てが、自然に永い時間の中で、「天網恢恢、疏にして失わず」の「天の摂理」によって償われ、「一大光明芸術」へと昇華されてゆくのである。
人為において最善の努力を成しながら、同時に、人為を超えたものに対して最善の畏敬の祈りを捧げてゆけば、全き愛、全き叡智、全き光明としての真理そのものの神(オーバーソウル)が自然に実成してゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。