塾生諸君に述べておきたい。真に「人生の苦」を認識するということは大切なことである。仏教では、このことを「苦諦」(人生は苦であるという真理)というのであり、ショーペンハウアー哲学では、このことを、「盲目的意志の展開したる世界」の認識というのである。
しかし、「四苦八苦」をはじめとする「苦」に必要以上に執われていても、それは、一種の透徹した「リアリズム」に基づく「ペシミズム」であって、真なる「解脱」による「法楽」に到達することは難しいのである。そのために、「仏教」においては、次に「集諦」(苦には原因があるという真理)の認識が肝要となり、さらに、「滅諦」(苦の原因を滅すれば苦は滅せられるという真理)が肝要となり、その上で、道諦(道を修めることによって苦の原因は取り除かれ、法楽の世界が開けてゆくという真理)の認識と実践が肝要と成ってゆき、真に道(法則)に則って「善く生きる」ことを実践してゆけば、真なる「法楽一元の世界」が開かれてゆくと説かれているのである。
この「苦集滅道」の真理からいえば、主として、仏教においては、「内省的瞑想」としての「八正道」(正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定)を実践してゆくことが、「一つの方法」として示されているが、「道」とは、本来無限無数に実在するのである。古今東西の様々な諸賢、諸哲、諸聖の述べられた真理(ロゴス)をもとにして、一つ一つ「内省的瞑想」を成してゆけば、様々な「解脱」の「道」が実在するのである。
このことが、かのショーペンハウアー哲学にいう「意志の否定」であり、これは本来、「理念(イデア)の真理」に基づく、「盲目的意志」としての苦の原因となる諸々の「煩悩の否定」であって、その後に顕現してゆく境地が「涅槃寂静」の境地であって、「六道輪廻の世界」(「盲目的意志」の展開した世界)を「解脱」した「リアリズム」に基づく「法楽」の道であるといえるのである。
このように、「理念(イデア)の真理」を積極的に設定し、認識し、実践してゆくことによって、真に「人生の実相」(人生の本当の姿)、「世界の実相」(世界の本当の姿)が示現し、「理念の革命」に基づいた「精神的ジャパニーズドリーム」が実現し、「精神的グローバルドリーム」が実現し、「精神的ユニバーサルドリーム」が実現してゆくといえるのである。
真に「理念(イデア)の真理」を「一大光明公案」として「大悟」した時期、そこに、本来「苦なし」「法楽一元」の「光明荘厳浄土」が如実に示現し、「人間の実相」も、「世界の実相」も、「歴史の実相」も、あらゆる人と事と物との「実相」(本当の姿)が、本来「光一元」「真一元」「善一元」「美一元」「聖一元」であったことが如実に知見され、真なる神(オーバーソール)と「純粋経験」の内に一体化し、「絶対矛盾」していると観えた諸々の諸現象が、真に「統合」され、「絶対無」なる「大和」の大海に常に抱かれ、神の星地球に幸えている永遠普遍の「生命」そのものが、大いなる「法悦一元」の真実在として、活き活きと躍動し、あちらこちらにも、「空相中実相」なる神の国、仏の国、理念(イデア)の国が、真に示現してゆくのである。
真に「理念(イデア)の真理」の実在を信頼し、真なる「哲人」として、どこまでも探究し、「知徳合一」「知行合一」の精神をもって、実人生、実生活、実社会に活かしてゆけば、どのような「道」からも、真なる「哲学」の大道によって救われ、その「思索のプロセス」そのものが真に償われ、「一大光明芸術」を創造してゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。