塾生諸君に述べておきたい。「叡智的直観」が限りなく高度な「知的洞察」として成される時期、かの西田幾多郎の「善の研究」にある「知的直観」の如く、限りなく偉大な知的偉業を、名実共に成し遂げることが出来るものなのである。それは、かのプロティノスや、エマソンや、J・J・ルソー等においても、既に実証されていることである。
限りなく深い「叡智的直観」こそが、真なる天才哲学者の条件であり、後は、「直覚」を、論理的に「概念」を用いて翻訳してゆく知的作業を成してゆくことこそが、かのソクラテス、プラトン、アリストテレスをはじめ、デカルト、カント、ヘーゲル等が、一生をかけて成された「天職」であったといえるのである。これは、かのアインシュタインにしても、ゲーテにしても、三島由紀夫等にしても同様である。
まず、深く「観ずること」、すなわち、深く「洞察すること」、すなわち、深く広く高く「知的直観すること」こそが、真に養われるべき天才の条件であるといえるのである。その意味において、本物の「直観力の研究」にこそ、あらゆる面において、おこなってゆかなければならない「新時代」の「学問」の原点があるといえるのである。「知識の量」による秀才ではなく、「叡智の質」による天才の発掘と養成こそが、「新生日本建設」「新生地球建設」「新生日本ルネサンス運動」「新生地球ルネサンス運動」にあたって、最も大切なことであるといえるのである。
そして、真なる「叡智的直観」は、かの明恵上人の如く、実質的な内省的「禅定」によって得られることが多く、禅宗に属しているいないにかかわりなく、「禅定」の精神をもって「精神統一」し、「内省的精神世界」を開拓し、真に天を敬い、人々を愛し、「絶対理念」たる大宇宙、大自然の理法と一体化してゆくことが肝要であるといえるのである。これは、「昭和」においては、松下幸之助が「理念経営」に活かされた方法でもあるのであり、大宇宙、大自然の理法という根源神(天之御中主神)に「中心帰一」しながら、同時に、「良心」に忠実に、「シンプル イズ ベスト」の「理念経営」を成してゆくことは、真なる「哲人型理念経営」の王道であるといえるのである。
常に、「原点」に立つべきリーダーが、このような「後ろ姿」を示して実践しつづけてゆけば、かの「吉田松陰」に、久坂玄瑞や、高杉晋作や、伊藤博文等が続々と続いていったように、真なる「哲人山脈」が、かの「福澤山脈」のように自然に醸成され、「一大光明芸術」の大河と成って、人と物と情報を「流通」させ、真なる繁栄と健康を通した平和と幸福と文化創造の大道を構築し、維持し、大調和裡に大発展させてゆくのである。
「叡智的直観」のもとに、真に天地人が一つに結ばれ、「大和の心」を形成してゆけば、自然に、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。