塾生諸君に述べておきたい。どのような環境の中にも、どのような人々との出会いの中にも、必ずや「一大光明芸術」の煌めきはあるのである。故に、人生とは「詩」である。一刻一刻が「詩」である。一日一日が「詩」である。一日一日に「魂」が宿っているのである。一日一日に「光」が宿っているのである。その「時期」にしか創れないものを、人生において、人間は、常に「創造」しながら生きているのである。
その意味において、あらゆるものが過ぎ去っていった「時期」に、心に遺っている「宝物」をこそ大切にせよ。それこそ、人生における本物の「宝石」である。ある方の「一片の言葉」、ある方の「一片の立居振舞」、ある方の「一片の行動」、それらすべてが「天の配材」である。
すべてのすべてを「詩人」の心でとらえよ。「詩人」の心によって、「宝物」として結晶させてゆけ。それが、「善く生きる」ということである。それ故に、実人生、実社会、実生活の中でこそ、真なる「詩」が幸えてゆくのである。真なる「哲学」が、「詩」のロゴスとなって結晶してゆくのである。
諸君は、真に、あらゆる面において「詩人」たれ。「詩人」として「善く生きる」ことが、「第二の誕生」を成した「人格」の証なのである。「生涯哲人」、「生涯学生」、「生涯学者」の証なのである。真なる「理性」と「良心」と「真心」とは、真なる「感性」と一致するものである。故に、あらゆる自然の中にも、人間の営みの中にも、神の生命が、「詩」として幸えているのである。
「詩」を発見するものは、「詩」に発見される。「詩」を創造するものは、「詩」に創造される。そして、「詩」の中に、真理的理念世界を「結晶」させ、その世界の住人であることを、その身そのままで証してゆくのである。
真なる「詩魂」をもって、「善く生きる」ことを実践してゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。