塾生諸君に述べておきたい。「慢」心というものが、真なる「試練」として、どのような優秀有徳の方にも、「天」から自然に与えられるものなのである。故に、常に「謙虚さ」の原点に立ち返って、自分を虚しくして、「自我」ではない「自己」を見つめ直してゆかなければならない。
「独立自尊」「自己信頼」「自主独立」の「自己」とは、真なる「自己」であって、むしろ、「自我」を抑制滅却してゆくことによって獲得される「神性的自己」「仏性的自己」「理性的自己」「良心的自己」「真心的自己」のことを呼ぶのである。故に、常に、心「素直」に、「自我」に基づく様々な煩悩や罪や穢れを「内省」しながら、真なる「自己」を、一日一日継続して、「新生」させつづけてゆかなければならないのである。
その意味において、かのエーリッヒ・フロムの述べられているように、真なる自由とは、「唯一無二」なる真なる「自己」を発見し、顕現し、真なる「自己実現」を、その方にとっての「大いなる夢」の実現として成就してゆく所に真骨頂が実在するといえるのである。その意味において、一人一人の心の内にある永遠普遍の「天命」が、唯一無二なる「理念の華」として開いてゆくことこそ、真なる「精神的ジャパニーズドリーム」であり、真なる「精神的グローバルドリーム」であり、真なる「精神的ユニバーサルドリーム」であり、「理念の革命」であり、「希望の革命」であり、「大和の革命」であるといえるのである。
諸君よ、真なる「自由」とは、与えられるものではなく、自ら主体的に「自己実現」してゆくものであるという観点から、「大いなる夢」を「大いなる志」として立て、自分自身にとっての真なる幸福感の源としての「悦び一元」の「光」の大道を開拓してゆけ。「天」とは、自己の内奥に実在するのであり、「神」とは、自己の内奥に実在するのであり、「神の国」とは、自己の内奥に実在するのである。
真なる「神の国」「仏の国」「理念(イデア)の国」を成就してゆくためにこそ、真なる敬天愛人の精神をもって、「天」に対して「謙虚さ」を保ち、「素直さ」を保ち、「感謝の心」を保って、あらゆるものを真に「問い」、一生を通して「学びつづける姿勢」を維持してゆくことこそ、真に「大器は晩成す」の人格の王道なのである。
真なる「学び」の門戸は、常に開かれているのである。真に心を開いて「求める心」をもてば、真に「与えられる」のである。真なる「求道心」から、真なる「学問」は始まってゆき、それが「道」である以上、究めても究めても、未だ奥のある究極の実在としての無限無数の「叡智」が、「光明荘厳」に満ち満ちており、あらゆる方に、真なる「無限供給」の心身共なる「富」(ウェルネス)を、天の恵みとして幸えてゆくのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。