塾生諸君に述べておきたい。常に心を修めてゆくことこそ「学問」の原点であり、真に心を清らかに明るく向きなおしてこそ、真なる学びは確実に上達してゆくといえるのである。その意味において、かのローマ帝国の哲人政治家達の如く、「日々是好日」の精神をもって、日々、大宇宙大自然の「真理」に基づいて心を修めてゆきなさい。真なる「修心」の精神があってはじめて、真なる「学問の門」をくぐることが出来るのであるという「原点」をよくよく弁えなさい。
「心清らかなる者は幸いなるかな、汝は神を観るであろう」という問いは、常に万人に投げかけられているのである。心が真に清らかでなければ、自己の内にも、他者の内にも、学校の内にも、会社の内にも、地域社会の内にも、国家の内にも、地球という星の内にも、神(オーバーソウル)を「観」じてゆくことが出来ないのである。神(オーバーソウル)とは、永遠普遍の「理念」そのものであり、「絶対精神」そのものであり、「法則」そのものであり、同時に、活き活きとした繁栄と健康を通した平和と幸福と文化創造の「太源」である。
故に、あらゆるものの中に、真に神(オーバーソウル)を発見してゆけ。大自然の中にも、大宇宙の中にも、人間関係の中にも、あらゆる生命の営みの中にこそ、一大光明芸術の摂理としての神(オーバーソウル)の御心を観じてゆきなさい。そして、常に「自他一体」に、神(オーバーソウル)が実在されているのであるという「原点」に立脚して、真なる自己の良心と理性と真心の内奥に、「希望の清水」を発見してゆきなさい。
さすれば、「日々是好日」であり、常に神(オーバーソウル)と共にあり、神(オーバーソウル)の恵みと共にある、真なる幸福感をもった人生と世界と宇宙が顕現してゆくことであろう。神(オーバーソウル)と共にありつづけてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。