塾生諸君に述べておきたい。「布施の心」というものは、本来「聖なるもの」に対する「無償の愛」であり、「無償の投資」であり、「無償の消費」であり、「理念資本主義社会」において、最も尊いことなのである。そのことを積極的に尊重し、奨励してゆくことこそが、真に資本主義社会を救い、真に自由主義社会を救い、真に民主主義社会を救い、理念尊重型徳治主義国家を建設してゆく大道であるといえるのである。
故に、真善美聖の「理念価値」に対する「寄附」は、本来、あらゆる規制をしない方が、より社会は健全に機能してゆくといえるのである。現在日本においては、「贈与税」等があって、国家が認定した「法人格」以外には、「布施」が自由に出来ないようなシステムになっているけれども、国家の規定を外れる、真善美聖に貢献している諸団体は幾らでもあり、それは、国家にとっても、地球にとっても大切なものなのである。
例えば、「宗教法人」だけが、真なる宗教法人的活動を成しているとは限らないのである。宗教以前の「純粋宗教」というものもあり、「八百万の神々」の中には、かつての坂本龍馬や、吉田松陰や、西郷隆盛や、福澤諭吉や、勝海舟のような方々も含まれているのである。こうした「志士」「哲人」「預言者」の方々が活動されていたことも、一種の宗教以前の「純粋宗教」的活動であり、真善美聖に貢献し、あらゆる面において、「公」に貢献されていたといえるのである。
その意味において、現代日本の中に、このような「志士」や、「哲人」や、「預言者」の方々が出現してこられたとするならば、積極的にその活動を奨励し、さらに、こうした方々を支援する方々を奨励してゆくような「規制緩和」が、最も肝要となってゆくのである。
「人財」も、「金銭」も、「情報」も、国家の基盤となる活き活きとした「生命の血液」であるといえるのである。よって、人格の「本源的自由意志」を尊重し、資本(金銭)の「本源的自由意志」を尊重し、情報(知恵)の「本源的自由意志」を尊重した上で、「規制緩和」を成し遂げ、様々な所から「新時代」の「希望の泉」が湧出してゆくことを、積極的に肯定していかなければならない。
この地上において、「布施の心」程、尊く美しいものはないのである。そして、自主的に、主体的に、自由に、「無償の愛」として「布施」をなしてゆくこと程、真なる起業家や、実業家や、経営者の聖なる目標と成る国家貢献、地球貢献の道はないといえるのである。
かのロックフェラーや、ヘンリー・フォードや、A・カーネギー等の根底にあられた繁栄と成功と勝利の根源的動機(根本的モチベーション)の中には、聖なるもの(天)に対する健全で柔軟な信仰心があられたのである。このこともまた、かのマックス・ウェーバーが述べておられるように、健全な「理念資本主義社会」を考えてゆく上で、最重要な核となる思想信条であるといえるのである。
日本にも、本田静六や、安田善次郎や、岩崎弥太郎をはじめとする、真なる王道の「富の福音」の光を掲げられた方々に共通していることは、「無償の愛」としての「布施の精神」であり、その意味における「敬天愛人」の精神であられるのである。
これこそ、真なる「自己実現」であり、「究極の自己実現」の大道であるといえるのである。様々な分野において「布施の精神」が活性化してゆけば、真に日本国の運命は開拓され、真に地球の運命は開拓され、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。