「義塾メッセージ」
Japanese Dream Realization





「真なる『自己信頼』と『究極的実在(天)に対する信仰心』と
積極的博愛精神をもった『日本の学者』こそ『新時代』の旗手である」





  塾生諸君に述べておきたい。「文学者」としてだけではなく、「哲学者」「預言者」(「宗教改革者」)として「エマソン」を解釈し、その真髄を価値礼拝してゆけば、真なるアメリカンドリームの「根本理念」が明らかに成ってゆくのであり、「J・J・ルソー」にしても、「福沢諭吉」にしても、同様の解釈を成してゆくことが肝要なのである。

  その意味で、「エマソン」の、「叡智的直観」による「自然」を基本とする「一大光明哲学体系」には、「新時代」の「根本理念」が無限無数に内蔵されているといえるのである。「エマソン」も「ソロー」も、ハーバード大学の元祖にあたられるような方々であり、その意味において、ハーバード大学を中心とする「アメリカの学者」の「正統」な「思想潮流」の流れを汲む方々は、真なる「自己信頼」をもち、同時に、「オーバーソウル(根本実在としての神)に対する信仰心」をもち、同時に、柔軟で健全な「他者信頼」を成し、自国も他国も共に「目的」と考え、「自他一体」に尊重し、「価値礼拝」してゆく所に、その真骨頂があるといえるのである。

  その意味において、「日本の学者」である「福沢諭吉」の流れを汲むと同時に、ハーバード大学の「アメリカの学者」である「エマソン」の流れを汲む、例えば、経済学者の竹中平蔵氏や、憲法学者の小林節氏等の方々の、国際的な「日本の学者」としての真価は、「独立自尊」「自己信頼」「自主独立」の精神をもって、真に「国益」を増進しながら、同時に、「地球益」を増進しうる諸政策を選択出来るか否かによって、その真価が判定されてゆくといえるのである。

  「他国」を「手段」として考えてゆくことは、「覇道の学者」の精神態度であり、「他国」を「目的」として考えてゆくことは、「王道の学者」の精神態度である。それは、古くは、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、近代では、カント、ヘーゲル、エマソン、日本では、福沢諭吉、中江兆民、西田幾多郎等の「王道の学者」の永遠普遍の「原理原則」であり、「知的廉直」の根本である。

  例えば、憲法解釈でいえば、日本国の「国柄」と「伝統精神」と「時代精神」を尊重しなければ、真に「国益」と「地球益」にかなう憲法判断が出来ないであろうし、経済政策でいえば、「真に景気回復してゆけば、自然に不良債権が優良債権になってゆく」ということを「前提」とした、日本国の「国柄」と「伝統精神」と「時代精神」を尊重した「維新的構造改革」が成されてゆかなければならないであろう。

  それ故に、何よりも「国際日本外交」と「国内諸改革」と「新生日本ルネサンス」「精神的ジャパニーズドリーム」「新生日本建設」の根本には、かの長谷川三千子女史や、梅原猛氏や、西部邁氏のような「哲学者」が必要不可欠であるということを、よくよく認識しなければならない。

  真なる「哲学者」が「核」となって「時代精神」が顕現され、「世界精神」が示現され、具体的な政治改革、経済改革、経営改革、教育改革、芸術改革等に成って、トータルな「国造り」が成されてゆくのであるという永遠普遍の「真理」を土台にして、「精神的ジャパニーズドリーム」の光明の大輪を、真に、アメリカにとっても、EU諸国にとっても、アジア諸国にとっても、中東・アフリカ諸国にとっても、「プラス一元」「善一元」「繁栄一元」に成ってゆく方向で、健全で柔軟で根本的な諸改革を、真に決断実行成就してゆこうではないか。

  日本国から、ノーベル賞級の「日本の学者」が無限無数に輩出して、地球という星において、真にリーダーシップをとってゆく「新時代」が到来したのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



〔義塾光明祈念歌〕
文化的
独立宣言
    オーバーソウル
 ジャパニーズ
ドリーム
 笑う
かな
(貴) 



[ 2001年6月2日 ]



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