塾生諸君に述べておきたい。真なる「日本精神」というものは、「独立自尊」の精神そのものであり、その主旨は、かのエマソンの述べられている「自己信頼」の精神そのものであり、かのJ・J・ルソーの述べられている「自主独立」の精神そのものであり、かのカントの述べられている「自律による人格の尊厳」の精神そのものであり、それこそ、真なる「自由」の精神であり、真なる「民主」の精神であり、真なる「理念尊重」の精神そのものなのである。
真なる「理念自由主義」「理念民主主義」「理念徳治主義」の根幹にあるものこそ、真なる「独立自尊」の精神である。その意味において、真に「国益」を増進し、「地球益」を増進してゆく「理念言論」とは、「独立自尊」「自己信頼」「自主独立」の精神に支えられてはじめて成立してゆくといえるのである。
日本国そのものに、真に「誇り」をもって「理念価値」を礼拝することもなく、諸外国に、真に「尊敬」をもって「理念価値」を礼拝してゆくことも出来ないのである。その意味において、日本国の歴史、日本国の哲学、宗教、芸術をはじめとする伝統文化に、真に「誇り」をもち、「理念価値」を礼拝してゆくことこそが、真に国際的日本人として真なる国際協調をしてゆく大道であり、同時に、真なる宇宙的日本人として真なる宇宙協調をしてゆく大道であるといえるのである。
「絶対精神」の発露である哲学、宗教、芸術をとって考えてみても、「八百万の神々」の根底には、「一」なる究極的実在としての「神」が、真なる「統合」精神として存立することは「自理の理」であり、「一」なる究極的実在としての「神」があるからこそ、「八百万の神々」を、「個性の開花」として、あらゆる面において尊重してゆくという「独立自尊」「自己信頼」「自主独立」の精神態度が生まれてゆくのである。
その意味において、本来かのローマ帝国でいえば、ローマの伝統精神である「八百万の神々」の根底には、本来究極的実在としての「一」なる「神」が、真なる「統合」精神として存立しているのであるから、「一神教」や「多神教」の区別もなく、本来矛盾止揚されるべきものであるのである。
故に、「一即多多即一」の「真理」をもって、あらゆる「偏見」や「先入観」や「邪見」を、一つ一つ丁寧に取り除いてゆけば、真なる世界史の「真象」と、世界史的日本史の「真象」と、宇宙史的日本史の「真象」が「如実知見」されてゆくのである。
その意味において、常に「知的廉直」の「無知の知」の「哲学の原点」に立ち返って、哲学と志と真心のある「理念言論」を成してゆけば、自ずから、真なる「国益」を増進する大道と「地球益」を増進する大道と「宇宙益」を増進する大道が、如実に照見され、真なる「光明荘厳」なる大道が切り拓かれてゆくのである。
真なる「光明の哲人」と「光明の志士」と「光明の批判家」が幸えてゆけば、真に「言霊の幸ふ国」として、真に日本国の運命が開拓され、地球という星の運命が開拓されてゆくしかないのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。