「義塾メッセージ」
Japanese Dream Realization





「真なる『戦略的思考』をもった哲人として『国家百年の大計』を見定め
根源的諸改革を実行してゆけ」




  塾生諸君に告げておきたい。真なる「哲学」こそ真なる「思想」であり、真なる「思想」こそ真なる「学問」であり、真なる「学問」こそ真なる「実学」であり、真なる「実学」こそ真なる「評論」であり、真なる「評論」こそ真なる現実的「諸改革」の源と成ってゆくのである。その意味において、真なる「哲学者」や「思想家」というものが、真なる「国家百年の大計」を洞察しえるのであり、同時代、同地域においては、その真価を厳密に判定してゆくということは極めて難しいものなのである。

 本来、言論の自由というものも、信教の自由というものも、寛容の精神というものも、こうした観点から生まれ育まれたものなのである。その意味において、真なる世界史的視点、世界史における日本史的視点に立脚して、「今」の「時代精神」を真に観じえておられる方は本当に一握りであるという真理真実を、よくよくわきまえておかなくてはならない。かのソクラテスや、イエス・キリストや、釈尊であっても、かのルソーや、ヘーゲルや、エマソンであっても、同時代の方に真に理解されえたとはいえないし、後代において正確に評価されているとも限らないのである。

 仏教においても、正法の時代、像法の時代、末法の時代というものがあるけれども、現代における「理念」や「神仏」や「自由主義」や「民主主義」や「日本精神」の根本哲学、根本哲理、根本法理であっても、真にその価値を判定しえている方はほんの一握りであり、ほとんどの方が随分歪曲した形で曲解し、イデオロギー的プロパガンダのようにしてのみ狭く使用され、そのことによって、真に自由で創造的で主体的な思想活動、哲学活動、言論活動を束縛してしまっている点が多いといえるのである。

 さらには、あらゆる偏見や歪曲や邪見から真に「自由」になりながら、「正見」し、「実相」を「観」じ、あらゆる思想、哲学、宗教の「個性的実相」をさらに拝み出し、本質的「統合」精神をもって、「個性の開花」としての思想的、哲学的、純粋宗教的「豊饒」を「シンプル イズ ベスト」に示現し、一つの「理念文化価値体系」と成し、実際に「実学」として諸分野に応用しているものこそ、JDR義塾の理念評論の本質なのである。

 その意味において、JDR義塾の「哲学体系」は、ヘーゲル以来の日本的「大和哲学」を背景とする「一大哲学体系」であり、「理念文化価値体系」であり、現実に、ここから、新時代の「時代精神」が生み落とされ、育まれ、日本国の「自主憲法」の最高の哲学的法源と成り、さらには、周辺諸国の「国のかたち」を思索してゆく上での最高の哲学的法源と成り、同時代を「理念スピード経営」によって大調和裡に変革し、さらに、「新時代」にむけて、これからも、数百年、数千年以上にわたって、様々に、大調和革命、大繁栄革命、大イノベーション革命を生み、創造してゆくことが、如実に明らかに成ってきたといえるのである。

 その意味において、常に「知的廉直」の「無知の知」の原点に立ちかえって、虚心坦懐に、「真理」そのものを、深く、高く、広く洞察し、応用し、実践してゆかなければならない。

 真なる哲学的精神態度をもって、真理を、良心と理性と愛知の精神をもって探究してゆけば、「今」の時代を、五年後の視点から「観」じ、十年後の視点から「観」じ、さらには、五十年後、百年後、千年後の視点から「観」じてゆくことが出来るのである。こうした視点をもつことを、真なる「戦略的思考」といい、真なる「戦略的思考」をもって「自助努力」しながら、「敬天愛人」の精神をもって、実人生、実社会、実世界を変革してゆく方のことを、真なる哲人的リーダーと呼ぶのである。

 常に、「和」と「自主性」と「国際性」をもって、真なる哲人として「善く生きる」ことを実践してゆくことこそ、真に「新時代」の人類の春の扉を開けてゆくことに成るのである。あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。




〔義塾光明祈念歌〕
ファウストの
如く
真理を
   探しゆき
  女神
   出会えり
マーガレット
(貴)        .



[ 2001年5月7日 ]



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