塾生諸君に述べておきたい。真の哲学者というものは極めて貴重である。何故なら、物事の本質について根本から論じてゆくことを「天命」とされるからであり、物事の本質的真理を真に観じられるからである。
政治改革というものも、経済改革というものも、教育改革というものも、根本的な真理を応用したものであり、根本的な真理に基づいて、「何故にそうあらねばならないのか」ということを深い所から論じてゆかなければ、本物の「光明信念」というものは生まれてこないからである。故に、真なるリーダーというものは、深い所から「光明信念」を把持してゆかなければ、変転極まりない現象の流れの中で、一貫した「思想信条」を把持してゆくことも出来ないし、一貫した「思想信条」に基づいた改革を断行し、維持しつづけてゆくことも出来ないのである。
「今」日本国において、憲法論議や、経済改革論議や、教育改革論議などが成されているけれども、それが皮相的な一時的改革と成ってゆくのか、それとも、根本的な「時代精神」の発露として、世界史的遺産と成ってゆくのかということは、その改革の根本にある「思想信条」の深さ、高さ、広さに拠(よ)るといえるのである。それ故に、根底にある理念的思想が理念的真理として、真に世界史の中でどれ程の位置を占めうるのかという「真贋」をよくよく判定してゆかなくてはならない。真に、百年後、千年後に古典的真理と成りうるものであるのかどうかということをよくよく判定してゆかなくてはならない。その意味において、「本物」を発見し、悟り、愛し、体得し、実践してゆけるように、常に心がけてゆかなければならない。
何が表皮の流行であり、何が根本的な「時代精神」であり、「天の御心」であるかということをよくよく見定めた上で、是々非々の精神をもって、真理、真実、良心、理性、神性、仏性に則って議論し合い、真に生産的な真理を育み、伸ばし、具体的政策の中に応用実践してゆかなくてはならない。「統合と個性の開花」「秩序と自由」の中心哲学、大和哲学、絶対無哲学が、根本から、憲法にも、政治経済にも、文化にも、「レボリューション」をもたらし、真なる大調和革命、大繁栄革命、新生日本ルネサンス革命を、新生地球ルネサンスの光明の大輪として成就してゆくしかないのである。
そのために、謙虚さと礼節と感謝の心をもって、慎重に柔軟に正確に、一つ一つ「公正無私」の精神を旨に、真理、真実、理念を根本から問い直し、それを寛容の精神をもって敬い学び、同時に、真に「生きた真理」として生き生きと躍動させ、実人生、実世界、実改革の中で、一つ一つ丁寧に腑に落とし、真に、光ある時代に、光の子として、光明の哲人として活躍してゆかなければならない。
心を一つにして、「大和の心」をもって諸改革を積み重ねてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。