人間の「自由意志」と「本性」と「大宇宙
大自然の理法」を認め、尊重してゆく所から、真なる哲学が始まり、真なる宗教が始まり、真なる芸術が始まってゆくといえるのである。これらの「絶対精神」の顕れとしての文化は、本来、人間の魂に内在されていたものであり、人間の心に内在されていたものであり、人間の精神に内在されていたものであるといえる。
故に、「理性的実存」としての人間が地球上に存在しなければ、多種多様なる文化的営みは存在しなかったといえるのであり、文化が「実在」しているということこそが、人間が「実在」しているという証であり、地球という星に、高等生命体が「実在」しているという証であるといえるのである。
その意味において、多種多様なる文化の価値を認め、本来の「理念価値」を肯定し、祝福し、尊重し合ってゆくという精神態度は、地球という星そのものを尊重してゆくことであり、地球という星の尊厳を守り、導き、育てながら、地球人としての人間の尊厳を守り、導き、育ててゆくことであるといえるのである。
故に、多種多様なる文化的営みを、本来の自己の心の内奥に「実在」している生命の営みそのものであると考え、一なる生命の顕れとして、自己の生命の顕れとして尊重してゆこうではないか。
心の外なるあらゆる文化価値を肯定し、尊重してゆくということは、同時に、心の内奥に、あらゆる文化価値を育んでゆくということであり、より豊かさと繁栄と天の栄光に満ち満ちた心の内なる神の国、仏の国、理念(イデア)の国を創造してゆくということである。
心の内に、積極的に、より高く、より深く、より広く、無限無数の文化的光明を活かし、育んでゆけば、心の外なる世界にも、より高く、より深く、より広い、文化的光明が輝き、無限の大調和型発展繁栄を旨とした、神の国、仏の国、理念(イデア)の国が建設されてゆくといえるのである。
「絶対無」の精神を旨に、一つ一つの限定的執われを拭い去ってゆき、積極的に理念(イデア)価値を認め、肯定し、祝福しつづけてゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。