真なる「哲学的真理」というものは、真なる「魂の糧」と成りうるものであり、真なる「生命の光」と成りうるものであり、真なる「時代精神」と成りうるものである。そして、その「真価」は、「宇宙的真理」、すなわち、「大宇宙の理法」そのものにどれだけ則っているかということにおいて、「判定」されるものなのである。
「大宇宙の理法」の本質とは、「叡智」そのものであって、「一者」なる「究極的実在」である。そして、その本義は、「無即中心
中心即無」に「実在」しているといえるのである。これを、真なる「中心哲学」といい、真なる「中心哲学」とは、真なる「大和の哲学」の実相と軌を「一」にするものであり、真なる「円相の哲学」の実相と軌を「一」にするものであり、真なる「統合の哲学」の実相と軌を「一」にするものなのである。
そして、真なる「統合の哲学」とは、「大宇宙の理法」が万象万物の生命を活かし育んでいるように、真なる「自由の哲学」、真なる「個性の開花の哲学」、真なる「大いなる夢を実現する哲学」そのものなのである。
故に、これより後の「新時代」に真に求められている「哲学的真理」とは、「大宇宙の理法」そのものの根源的「光」によって、真に「魂の糧」と成り、「生命の光」と成り、真なる「時代精神」として、あらゆる方々の「魂の運命」(業)を真に「立命」(成道)してゆくための「光明哲学」であるといえるのである。
真に「光を掲げよ」という号令を、「哲学的真理」を通して、「叡智の聖火」として掲げ、様々な分野に「新時代」の「新境地」を開拓してゆけば、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。