「無為自然メッセージ」
Japanese Dream Realization




「無為自然にして天然の自己に回帰してゆく道」




 大自然の営みは、そのまま神の御心の顕れである。真に自然の子となることが、神の子の本性に立ち帰るということでもある。大自然の全てのものは、ゆったりと移り変わってゆくのあり、その中には、広々とした心、悠大な心、伸びやかな心、安らかな心が顕れているのである。故に、もっと心の中にゆったりとした大自然の時間を創ってゆくことが大切である。

 たとえ、何もすることがなくとも、大自然の時間の流れと心を一つにしてゆくことは、それ自体が幸福であり、それ自体が芸術的行為であるといえるのである。大自然の心と一体となってゆくということは、それだけで芸術的生き方をしているということであり、芸術を創造しているということなのである。故に、心の中に様々な色合いをもつ芸術的調和を創造してゆこうではないか。芸術的感動を創造してゆこうではないか。

 大自然は、到る所に神の芸術が満ち溢れているのである。その一つ一つが、かけがえのないものである。一期一会の出会いがそこにあるのである。神は、そこかしこにいますのである。神と一つになって生きることは、何よりも尊いことなのである。一つ一つの生命の営みの中に神を発見してゆくことそのものが、信仰心の顕れなのである。

 神の御心は広大無辺である。広大無辺の大地に、今、生かされているのである。永遠の天国は、今、あなたの側にあるのである。神の招きに応じて神の国に没入してゆけば、神の御心そのものの一部である自己が、そこに発見されるのである。静かなささやかな営みの中に、神の生命は姿を顕わすのである。

 真に自然そのままの自己に立ち返ってゆこうではないか。天真爛漫な自己に立ち返ってゆこうではないか。幼子の如き心をもてば、そこに天の門が開かれるのである。簡単なことが以外に難しく、逆発想の中に、大いなる道が開いていることもあるのである。

 真に無為にして自然のままの心に立ち返ることも、人類の永遠の理想の姿の一つなのである。原点の一つなのである。何もなくとも、大自然の営みの中に、神は顕れているのである。今、生きている生命の中に、無限の宝が輝いているのである。より天然の自己に立ち返ってゆけばゆく程に、本来の神の生命を宿した無尽蔵なる自己と世界が顕れてゆくのである。



〔 光明祈念歌 〕
あめつち
天地の
窮の生命
自己の内
 天然にある
 元なる大道
(貴)



このホームページのトップへ 


「無為自然にして天然の自己に回帰してゆく道」 に対するご意見・ご感想などございましたらご遠慮なくお寄せください。
ご意見・ご感想はこちらから