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「青春の自省録」 | 1986年 5月 |
Japanese Dream Realization |
「青春の自省録」 |
■ May,1,1986 | |
人は愛によって、非日常性を体験する。そして、この世にない神秘性を垣間見る。しかし、そのことで、愛の非日常性と、人間というものの日常性との間のギャップに悩む。 今までかかって築き上げてきた価値観が、愛によって崩壊し、その時に、新しい光が投げ入れられる。しかし、今度は人間に対する、その愛の非合理性や破局を体験することによって、二重に自我が崩壊する。 そのことによって、今までにない強い孤独が認識され、逆説のようだが、より強い自我が創り上げられるのである。そこからが、第二の新生である。そこから、より真なる自我を求める旅が始まるのである。 |
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■ May,16,1986 | |
前方には 何も見えず 後方には 今来た道さえ もう かすんでいる ずっと向こうに 小さな光が 時々 煌いたような気がするが あれが 幻でないと誰がいえよう 限りない不安に襲われ 私は 無限の衝動に駆りたてられる 「さぁ、進め!」 で、何のために? 「さぁ、進め!」 で、どこにたどりつきたいというのか? 「さぁ、進め!」 … … |
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■ May,18,1986 | |
物事には、すべて時期というものがある。 そして、今の現在の瞬間というものは、すべて「時の流れ」という大きな木になる。それぞれ違った実の様なものである。今は、一番上の方の赤い実の時かもしれない。又、一寸前は、一番下の青い実の時かもしれない。 常に同じ大木にくっついていて、そこから養分をもらいながらも、時の流れに沿って、それぞれの実に応じた臨機応変な対処ができる人間にならなくてはならない。それぞれの違った実は、それぞれ違った心の糧をあなたに与えてくれるだろう。 |
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■ May,18,1986 | |
では、今の私は、どんな実の時期なのだろうか。 それは「試練の実」である。長い冬にじっと耐える試練の時である。冬の時期には、夏の服を着ていてはいけない。しかし、着込みすぎてもいけない。じっと耐えようではないか。こんなことは、今までの自分にはなかったことであろう。一年間、じっと黙って、お前は耐えることができるのか。頑張れよ。 |
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■ May,18,1986 | |
人間とは、ある時は精神であり、又ある時は肉体である。そして、彼は、ある時は一つの魂であり、又ある時は社会の一部品である。 そうして、さらには、目には見えない所で、時と空間を隔てて、すべての魂と手をつないで全体として存在している。人間は、これらのどれ一つの観点も欠いてはならないのである。 |
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