JDR公開理念情報 

 「義塾メッセージ」
Japanese Dream Realization





「『祝福の心』を積極的に身につけてゆけば薔薇色の人生が拓かれてゆく」



 塾生諸君に述べておきたい。「祝福の心」というものは、指導者最高の条件であるといえるのであり、「嫉妬の心」というものは、指導者最高の欠点であるといえるのである。故に、それぞれの「個性的長所」を認め合い、お互いに讃え合うということは、その分野において、頂点を極めてゆけばゆく程に、大切になってゆくことであるといえるのである。

 繁栄と健康を通した平和と幸福と文化創造の最高の源は、「祝福の心」を培うということであり、心身共なる真の勝利者、成功者、繁栄者、健康増進者、長寿者、平和功労者、幸福者、幸福探究者に対して「敬いの心」をもつということに「原点」が実在するのである。それぞれの「個性的天才」を真に活かしてゆくためにこそ、徳の「大器」が肝要なのであり、真なる徳の「大器」に盛られてこそ、真なる「個性的天才」の大輪は、真に光明の華を開花させてゆくといえるのである。

 人間には、それぞれの「天命」が実在し、それぞれの方が、己が「天命」を真に「自己実現」してゆくことを通して国益に貢献し、地球益に貢献しようと志を立てて生まれてこられるのである。その意味において、あらゆる子供、あらゆる人間は、それぞれの「天命」を、本来「天」から授かっているといえるのである。

 この「天命」(バースビジョン)を自覚するに到るまでに、真なる「自我」の目覚めがあり、真なる「自己」を築いてゆくためにこそ、真なる「学問」が実在し、真なる「学問」の本質とは、「第二の誕生」を迎えた若者に対して、真の意味での「生命の糧」となり、「魂の糧」となり、「心の糧」となる、活き活きとした「哲学」を教え、同時に、「自他一体」に天来の光に導かれ、幸えさせてゆく所に実在するといえるのである。

 その意味において、真なる「学問」を修めてゆくということは、本来、何よりも自分自身のためになることであり、楽しいことであり、悦びに満ちたことであり、真なる「私」を知ることを通して、自発的、自主的な志と夢と信念をもって、「公」に対して貢献してゆくように、教育(エデュケイト)してゆくものなのである。

 確かに、習熟度を正確に測るために、「秩序」や「礼節」や「競争の原理」も大切ではあるが、それを補うために、「自由」や「平等」や「博愛の原理」が肝要であるといえるのである。この両者は、本来矛盾するものではなくて、「真理一如」なるものである。この双方を真に尊重してゆくためにこそ、常日頃から、「嫉妬心」を自己抑制し、「劣等感」を自己抑制し、「自己顕示欲」を自己抑制してゆく、真の「剛さ」と「優しさ」と「明るさ」を、「祝福の心」として、公正なる「正義」の精神として培ってゆかなくてはならないのである。

 この「祝福の心」という「ドリームスピリット」「博愛スピリット」「同志スピリット」が真に醸成されてゆけば、あらゆる「災い」の源は自ずから無くなり、あらゆる「幸運」の源が拓かれ、真に「自他一体」に、「幸運の女神」が微笑んでゆくものなのである。

 心身共に「祝福の心」を実力として培い、習慣にしてゆけば、本来「嫉妬心」無し、本来「劣等感」無し、本来「自己顕示欲」無しの、「勝利一元」「成功一元」「繁栄一元」「健康一元」「平和一元」「悦び一元」「希望一元」の薔薇色の人生が自然に拓かれてゆくのである。「祝福の心」の下に、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。




〔義塾光明祈念歌〕
 公正な
 正義
 色
    した
南天の
    静かな
    微笑
  花
 盛り
  なり
(貴) 



[ 2001年6月13日 ]



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