「叡智メッセージ」
Japanese Dream Realization





「純粋真理と哲学の使命について」 
〜ニヒリズムを超えて〜




 「純粋真理」というものは、「限定」の枠を一つ一つ取り除いてゆくことによって育まれてゆく「叡智の結晶」であるといえる。大宇宙、大自然を貫いて「実在」している「叡智」としての「真理」は、本来、「純粋」なものであるが、人間の「理性」の曇りによって、「不純」なものに映ってゆくのである。

 故に、「純粋真理」の側から考察してゆけば、人間の「限定」のある「理性」的認識こそが「不純」なのであって、「無限定」なる「絶対無」としての「究極的一者」の側に立脚して考察してゆけば、本来、「純粋」なものこそが「真理」であり、「純粋」であるが故に、「真理」であるといえるのである。

 故に、地上に表現されている「真理」と称されているものの「純粋性」を真に問うてゆくことこそ、真なる「真理」認識には肝要であり、真なる哲学的営みの本質であるといえるのである。その意味において、「哲学」とは、本来、「真理」として表現されているものの「真理」性そのものを、大宇宙、大自然の理法に照らし合わせて、「純粋」に判定してゆく所に真骨頂があるといえるのである。

 「真理」として表現されているものが、実は「不純」なものであり、「真理」性からかけ離れている場合には、その真偽を正確に判定し、評価し、本来の「真理」の「信用」を高め、「真理」として表現されているもの、また、その解釈として流布されているものに対して、「真理」を源とする「不幸」(災厄)を無くし、「幸福」(福徳)を増進してゆくことが、真なる哲学的営みの「使命」であるといえるのである。

 「真理」の中にも、「哲学的真理」だけではなく、「道徳的真理」、「芸術的真理」、「宗教的真理」、「科学的真理」等、様々なものがあるといえるが、「真理」が「真理」である以上、大宇宙、大自然の理法そのものに限りなく則った「純粋真理」こそが、「究極の真理」であり、永い眼で観て、全宇宙、全銀河、全地球、全国家、全民族に、真なる「大調和」と「大調和型発展繁栄」をもたらしてゆくといえるのである。

 故に、哲学的営みを、「真理」に対する「疑い」のためになすのでもなく、また、「真理」に対する「批判」のためになすのではなく、さらに、「真理」に対する「嫌悪」のためになすのではなく、真に「真理」を「信用」し、「肯定」し、「愛」する(フィロソフィー)ためにこそ、なしてゆかなくてはならないといえるのである。

 真なる叡智的光明によって、大宇宙、大自然の理法に則って、「純粋」に、多様なる「真理」を愛し、慈しみ、活かし、真に「統合」し、「総合」し、その上で、「個性の開花」をなし、「真理」故の「自由」の精神と「秩序」の精神を、全きものとして探究し、実現成就しつづけてゆけば、真なる繁栄と健康を通した平和と幸福と文化創造を旨とする、神の国、仏の国、理念(イデア)の国が、「叡智の結晶」そのものとして、健全に、柔軟に、正確に、より純粋に、天の栄光を無限無数に受け継ぐものとして、育まれてゆくといえるのである。

 真なる「純粋真理」を志とする叡智的営みのもとに、あらゆる面において、すべては善くなってゆくしかないのである。



〔叡智光明祈念歌〕
 大宇宙
    孔雀 
      の
    空に
輝ける
         叡智の 
        真理
   光
       晴けし
                      (貴)    






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