「哲学随想」
Japanese Dream Realization



 「無限のエネルギーの源としての真理について」



 あらゆる物事にはエネルギーが込められており、それこそが運動の本質である。それは、政治経済はもちろんのこと、スポーツ一つをとってみても、その本質はエネルギーの伝達にあるといえよう。エネルギーを伝達し、相手に与えてゆくのである。こうして与えられたエネルギーは、受けとめられて、内部で再生されて、様々に復活新生し、エネルギーを抽出してゆくことになるであろう。

 エネルギーの本質というものも、それは持続可能なものでありながら、万人を活かし育む作用を為すものであるともいえよう。例えば、今、様々に議論されている原子力エネルギー一つをとって考えてみても、それが国力の源として、また国際社会上のパワーの源泉として大切であるということは、有識者においては自明のことであり、かの湯川秀樹博士にしても、平和という秩序を維持する国家百年の大計として、こうしたエネルギーを挙げられていると思われる。

 このことはアインシュタインにしても同様であり、来日して伊勢神宮を参拝された折に、彼は日本国の資源、資本、歴史、文化、民族性、競争力の根源に不滅のエネルギーの実在を認められたのである。

 このように、本来、根源なる所から不滅のエネルギーが湧出してくるのである。無限無数の文化的な神々のエネルギーも不滅であり、そのエネルギーは地上に無限に湧出して具現化してゆき、この地上に浄土を創ってゆくのである。

 さらには、思想や哲学、芸術、科学というものも、不滅のエネルギーの源であり、一見、際断されたように観えたものであっても、その奥底からさらに無限のエネルギーが湧出してくるものであり、無限のエネルギーが転換されて、様々なものに応用されてゆくのである。

 実現可能なものこそエネルギーの本質であり、その動力は不滅なのである。それは一種の電磁場を創り、一つの極となって、万生万物を潤してゆくことであろう。こうした不生不滅のエネルギーは、本来、空性であって、空相である。不増不減であって、不垢不浄である。

 それらはまた、不滅の実相的真理を持ち、無限無数に理を与えてゆくものである。理とは、また、現象化してゆく真理の動力でもある。根源なる一者より無限のエネルギーが分化して、万生万物を創造、維持、分化、発展させてゆくのが観える。観察された現象は、その背後にそれを統べる真理を持っており、流転してゆく理念(イデア)を有しているのである。

 理念(イデア)のエネルギーこそが万物の源であり、型(タイプ)であり、ロゴスであり、光であり、粒子であり、波動である。それはまた、電磁波であり、電磁力であり、その原子核からは、無限無数のエネルギーが抽出されてゆくのである。多少のウランで、原子力船が半永久的に動くように、日本国や世界も、こうしたエネルギーで半永久的に動いてゆくのである。

 地震というものもまた天為の一つなのかもしれない。それを受けて自然へ還れという人々もいることであろう。しかし、自然の中に深く穿ち入った時に、原子核の内なる不滅無限のエネルギーとも出逢うことであろう。

 このように、人為の究極には自然の数学的原理があり、自然哲学であるものが、社会哲学、国家哲学、世界哲学となって屋台骨を形成してゆくのである。不滅の無限なるエネルギー、光のエネルギーを湧出させてゆくものとは、人為でありながら、同時に天為でもあるものであろう。自然でありながら、社会でもある哲学であろう。科学であろう。文化文明であろう。

 それは、決して平和と矛盾するものではなく、むしろ平和の源となり、背骨となってゆくものであろう。アインシュタインの考えた原理はまた、日本国にも考えられ共有されているアイデアでもある。その中には、宇宙創成のヒントが無限無数に眠っているのである。

 湯川秀樹博士の考えたビジョンの射程は、本来、百年千年と持続可能なエネルギーの真理であり、真実なのである。無限に抽出されたエネルギーは、不滅を本質とするものであって、それは文明を創造してゆくパワーの源泉となりつづけてゆくことであろう。

 それはまた、国家の源泉としての新生日本のビジョンを無限に実現成就させてゆくものでもある。それに向けた不断の努力、不断のイノベーション、そして、古典への回帰と真理の応用実践は、無限のエネルギーを生み出しつづけてゆくことであろう。

 真理に込められた光、光明に裏打ちされた使命、使命に裏打ちされた天命、そして、天意、さらには、民意が人々を導いてゆくのであろう。このような光に裏打ちされた力強いリーダーシップは、あらゆる分野に観られつづけているものであり、それは、哲学一つであっても、科学一つであっても、芸術一つであっても、宗教一つ、啓示一つ、思索一つであっても、不滅のエネルギーを再生させてゆくものであるのであろう。

 我々が人生を生きるヒントは無限無数に実在しているものであり、それを観ることは働くことであり、働くことは仕事を為すことであり、それはまた、使命を実現してゆくことでもあろう。道に即して真理は語られ、その真理はやがて成功もたらし、勝利をもたらし、富をもたらし、健康をもたらしてゆくことであろう。

 不滅のエネルギーの源となる真理を活かしてゆくものこそ、理念であり、神仏の理であり、摂理でもあろう。人間の内に理念や神仏はあり、それは今までもありつづけ、そして、これからも無限のエネルギーの源となってゆくのである。





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