「哲学随想」
Japanese Dream Realization



 「一定の言葉(ロゴス)の後は無に任せよ」



 歴史に遺る哲学思想を創ってゆくということが大切である。故に、質の高い活動をしてゆくことによって、真に善く生きることを実践してゆけばよいのである。

 周囲の方、友人に語りかけるのではなくて、歴史を貫いて悟得される無限の方に語るのであるという心構えで、哲学的営みをしてゆく方がよい。そうすれば、真に精神統一されて、思索された真理は、たとえ断片的な随想であっても、歴史に対する根源的な影響力を有っているということが分かるのである。

 寿命において、百年を超えて生きることが出来る方はほとんどおられないであろうが、哲学的精神は、少なくとも百年を超えて評価されることが多いのである。数百年単位で仕事をなし、数千年単位で碑を刻んでゆくことが、真なる哲学的ロゴスであり、哲学的言霊であるのである。

 その思想的精神は、永遠不滅である。それが、本来、天上的なるものを内に宿して、人間が生を受けていることの証であるのである。

 故に、大河のように真理を積み重ねながら、流れてゆこうではないか。ゆったりと流れてゆこうではないか。人間に生まれることは、本当にまれなことでもあるのである。故に、一度生まれた限りは、その生に一切の不満と不足を言わず、その枠の中で、最善を成してゆこうではないか。

 歴史の流れは、公正な判断を必ずしてゆくのである。歴史の大局的な流れの中で善しとされるものを積み重ねてゆけばよいのである。本当に、一定の質は一定の量に変わるのである。

 一言一言の中に光を込めてゆくことである。理念を込めてゆくことである。ならば、無言の行間が、自然に仕事をしてゆくのである。無が働いてゆくようになるのである。

 絶対無を指標の一つとするJDRは、本来、無の精神の中に、本来のロゴス、未顕のロゴスを発見してゆくのである。無言が仕事をしてゆくようになること、それが、真なる哲学随想の問いかけである。ある程度を語れば、どんなにロゴスを並べようとも、無が仕事をしてゆくのである。

 無に任せるということである。無に全託するということである。



〔 光明祈念歌 〕
あめつち
天地の
開ける以前
ロゴスあり
大道のあり
無言感化す
(貴)



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