「詩的思想」
Japanese Dream Realization





「陽光の誘い」




 猫が窓辺にたたずんでいる。秋の朝の陽光が、天上の透明な音楽のように差し込んでいる。ふと観ると、猫は猫ではなかった。あたかも聖女のような、優しい、うつむきかげんな微笑みをしている。私は何か、絵画を観るかのような風景にしばし心を止める。これが、神の創られた生得知というものであろうか。

 自然のしぐさなのであろうか。陽光に佇んでいるだけなのか。私の視線を意識しているのか。耳がかすかに動く。わずかに視線をそらせる。私が秘かにアルクトゥールスと名付けた別名を憶い出した。星の輝きにも似た調和が実在している。絵画のような風景を、いくつ私は観てきたであろうか。その全ては、私自身の心境に応じて、偶然のような必然性をもって顕れるのである。

 この世には、幾つもの美しさが秘められているのだ。今、ここに、そして、かしこにも。ただ、それを観い出してゆくことに心を切り換えていないだけなのだ。観ようと思えばいかようにも顕れるのが、神の世界の無限性である。

 さあ、心の音楽を、自由自在にかけなおそう。今、観るべき世界を観るために、念いを定め、心を整え、言霊によって、地上にある天上世界へと飛翔してゆくべき時であるのだ。一日はこれからだ。今日は何か愉快な一日にしよう。何か神よりの贈物を発見しよう。どのような思想の断片をもって出かければよいのであろう。

 私は、常に、思想の断片、思索の断片を精神の内奥に抱きながら、自然の大海に出てゆく。常に考えていることが多いので、多少、哲学的な会話ばかりをしている。しかし、哲学がより詩的思想となり、心の内で奏でられてもよいであろう。哲学をもった詩人の眼で世の中を眺め、哲学の内容を表象的に記していってもよいであろう。具体的個物の内に、理念は顕れるのであろうから。

 猫は外の世界へのあこがれを、陽光はそこにある神の栄光を暗示しているに違いない。自然の内奥にある精神的象徴を観てゆくことも、心をより創造的にしてゆく道であろう。

 私は、今まで、何と多くの自然の教えに恩恵を受けてきたことか。あくせくした心を取り払おう。永遠を発見すれば、それでよいのだから。一日一日、永遠を発見してゆけば、それが幸福な人生というものではないのか。古典を少しづつ読みすすめ、その都度、自ら思索してゆく。ゆったりとした着実な歩み。はるかなる真理と、それが応化した日常。

 人間は、心が本質なのか、精神が本質なのか。心だけでは物足りない精神。精神だけでは不足する心。双方を満たしながら、魂全体を生長させてゆこう。それにしても、精神の世界の開拓は無限である。精神の開拓そのものに、数多く偉人の思想、哲学、芸術は可能性を与える。真善美聖の理念への飛翔、人間を本来の大自然の王者とする。





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