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「青春の自省録」 | 1986年 3月 |
Japanese Dream Realization |
「青春の自省録」 |
■ Mar,31,1986 | |
いつまでも過去を振り返ってばかりではいけない。お前はまだまだ若いのだから、そんな小さな古い過去に閉じこもっていてはいけない。 この世界中には、まだ、お前が知らないことがたくさんある。お前が知らない人が、どんな環境で、どんな考えをもって、どんな生活を営んでいるのか、思いめぐらせてみよ。 学問とは、今まで知らなかったことを知ることに喜びがあるのだ。どんなことでも、お前が今まで気付きもしなかったような新しい光を投げ込んでくれるものなのだ。 だから、小さな出会いを大切にし、この命が尽きるまで、精一杯生きてみることだ。 生きれば生きるだけ、色んなものが見えてきて、独りよがりでない、普遍的な悟りが、お前に芽生えてくるだろう。 それからでも、断定は遅くないじゃないか。 |
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■ Mar,31,1986 | |
明るく 快活に しかも やさしく 敬虔に これらは、決して矛盾しない |
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■ Mar,31,1986 | |
中庸とは、静かに、自分という存在と、それをとりまくすべてのものを見据えていることである。 | |
■ Mar,31,1986 | |
確かに愛はすばらしい。人間に深さと、一種のノスタルジアを与えてくれる。深い愛を経験することは、大きな人格をつくる上で、必要不可欠なことだと思う。 しかし、その一点に固執して、そこから離れられなくなる。その一点に固執して、その他、すべての視野を失ってしまう。 ある意味では、愛は生命を殺してしまうかもしれない。素直な好奇心を根こそぎ奪ってしまうかもしれない。 |
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■ Mar,31,1986 | |
リルケの言葉が思い浮かぶ。 「わたしたちが、愛しつつ、愛するものから自由になって、おののきながら、そのことに堪えぬくべき時ではないか。」 愛しつつ、愛するものから自由になって・・・そうなのだ。たとえ、片目には深い愛のノスタルジアを映していても、もう一方の目には、未知の新しい世界を映してゆくべきだ。 |
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